に接して余も学校にでかけたが、村長たる余でさえも、村会議員とその手先の村民にさえぎられて、工事の現場に立入ることはできなかった。村民の一部は消防の装束をまとって、禁止区域に立入る者は容赦なく撃滅の覚悟をかためていたようである。
「戒厳令下だね」
と余が呟くと、
「不謹慎な。口をつつしみなさい。元軍人とも思われぬ」
羽生が青筋をたてて余を罵った。
先日羽生が余に向って本日の出来事と同じようなことを口走ったのを耳にとめていたから、本日の挙も発頭人は彼であろうと考えた。そこで余は羽生に向って、
「貴公は先日数年来の決算書類を余に提示して逆さに振っても根太板一枚でないことを強弁したばかりであるが、あれは一時の偽りだね。本日の挙は甚だ不合理ではないか」
「はッはッは。今日のことでは一文も村費は使っていませんぜ。これぐらいは、まだ序の口さ。あのあばずれやその同類を村から叩きだすためなら、根作なぞは自慢の馬を売ってもよいと云ってるぐらいさ」
「鹿の頭がなくなってよろしかろう」
「不謹慎な!」
羽生はまた青筋をたてたが、余らを取りまいていた村民たちはげらげら笑った。そして噂のひろまるのはまことに早いもので、本日の大工費用は根作が自慢の馬を売って用立てるそうだということが学校をとりまいて見物していた人々の口から口へ伝わったのである。それを聞きつけたので、根作が血相変えてやってきた。
「村長はいるか。どこだ」
待ってましたと羽生が彼を迎えて、
「村長はまことに不謹慎だ。お前さんが馬を売れば、鹿の頭がなくなってよろしかろうと云っている」
「ヤ。そのことで来たのだが、今日の費用は俺が馬を売って調達するとは、いったい村長は何を根拠にそんな阿呆なことを云うとるのか。俺がいつそのようなことを云うたか。村長は俺の馬がそんなに憎いのか。俺の馬を売らせたいのか」
羽生は当てが外れて狼狽した。
「いや、馬の話は今日のことではない。今日の費用は俺が自腹を切ってもよい。その話はまた別だから、まア、こッちへ来なさい」
羽生は根作の手をひいて、誰も居ない方へ急いで連れ去った。
余はマリ子の姿をさがした。故大佐と余とは陸海軍の相違があるから、たまたま県人会などの席で顔を合せた程度で、深い交りというものはなかった。しかし、故人の遺族が本日の如くに難儀しているのを同じ軍人として見過すわけにはゆかない。
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