る人の心の切なさであり、あらゆる人がその人なりに生きてゐる各々の切なさと、その切なさが我々の読者となつたとき、我々の小説の中に彼等がその各々の影を追ふことの素朴なつながりに就てである。純文学の純の字はさういふ素朴な魂を拒否せよといふ意味ではない。たゞ、如何に生くべきか、思想といふものが存してゐる、その意味であり、それに並存して、なるべく多くの魂につながりたいといふ戯作者がゐる。あらゆる人間の各々のいのちに対する敬愛と尊重といたはりは戯作者根性の根柢であり、小説の面白さを狙ふこと自体、作者の大いなる人間愛、思想の深さを意味するものでもあることを知らねばならぬ。
 孤高の文学といふ。然し、真実の孤高の文学ほど万人を愛し万人の愛を求め愛に飢ゑてゐるものはないのだ。スタンダールは、余の小説は五十年後に理解せられるであらうと。たしかに彼はさう書いてゐる。然し、それだけが彼の心ではない。彼はたゞちよつと口惜しまぎれに、シャレてみただけだ。五十年後の万人に理解せられるであらう、と。五十年後でなくたつて、構はないにきまつてゐるのだ。
 日本文学は貧困すぎる。小説家はロマンを書くことを考へるべきものだ。多くの人物、その関係、その関係をひろげて行く複雑な筋、さういふ大きな構成の中におのづと自己を見出し、思想の全部を語るべきものだ。
 小説は、たかゞ商品ではないか。そして、商品に徹した魂のみが、又、小説は商品ではないと言ひきることもできるのである。



底本:「坂口安吾全集 05」筑摩書房
   1998(平成10)年6月20日初版第1刷発行
底本の親本:「改造 第二八巻第四号」
   1947(昭和22)年4月1日発行
初出:「改造 第二八巻第四号」
   1947(昭和22)年4月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:深津辰男・美智子
2009年4月20日作成
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