面のスタコラサッちゃんについて、一度も作品を書いていない。作家に作品を書かせないような女は、つまらない女にきまっている。とるにも足らぬ女であったのだろう。とるに足る女なら、太宰は、その女を書くために、尚、生きる筈であり、小説が書けなくなったとは云わなかった筈である。どうしても書く気にならない人間のタイプがあるものだ。そのくせ、そんな女にまで、惚れたり、惚れた気持になったりするから、バカバカしい。特に太宰はそういう点ではバカバカしく、惚れ方、女の選び方、てんで体をなしておらないのである。
 それでいゝではないか。惚れ方が体をなしていなかろうと、ジコーサマに入門しようと、玉川上水へとびこもうと、スタコラサッちゃんが、自分と太宰の写真を飾って死に先立って敬々《うやうや》しく礼拝しようと、どんなにバカバカしくても、いゝではないか。
 どんな仕事をしたか、芸道の人間は、それだけである。吹きすさぶ胸の嵐に、花は狂い、死に方は偽られ、死に方に仮面をかぶり、珍妙、体をなさなくとも、その生前の作品だけは偽ることはできなかった筈である。
 むしろ、体をなさないだけ、彼の苦悩も狂おしく、胸の嵐もひどかったと
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