目にあはせたかつたのである。私はカマキリの露骨で不潔な意地の悪い願望を憎んでゐたが、気がつくと、私も同じ願望をかくしてゐるので不快になるのであつた。私のは少し違ふと考へてみても、さうではないので、私はカマキリがなほ厭だつた。
アメリカの飛行機が日本の低空をとびはじめた。B29[#「29」は縦中横]の編隊が頭のすぐ上を飛んで行き、飛んで帰り、私は忽ち見あきてしまつた。それはたゞ見なれない四発の美しい流線型の飛行機だといふだけのことで、あの戦争の闇の空に光芒の矢にはさまれてポッカリ浮いた鈍い銀色の飛行機ではなかつた。あの銀色の飛行機には地獄の火の色が映つてゐた。それは私の恋人だつたが、その恋人の姿はもはや失はれてしまつたことを私は痛烈に思ひ知らずにゐられなかつた。戦争は終つた! そして、それはもう取り返しのつかない遠い過去へ押しやられ、私がもはやどうもがいても再び手にとることができないのだと思つた。
「戦争も、夢のやうだつたわね」
私は呟やかずにゐられなかつた。みんな夢かも知れないが、戦争は特別あやしい見足りない取り返しのつかない夢だつた。
「君の恋人が死んだのさ」
野村は私の心を見ぬいてゐた。これからは又、平凡な、夜と昼とわかれ、ねる時間と、食べる時間と、それ/″\きまつた退屈な平和な日々がくるのだと思ふと、私はむしろ戦争のさなかになぜ死なゝかつたのだらうと呪はずにゐられなかつた。
私は退屈に堪へられない女であつた。私はバクチをやり、ダンスをし、浮気をしたが、私は然し、いつも退屈であつた。私は私のからだをオモチャにし、そしてさうすることによつて金に困らない生活をする術も自信も持つてゐた。私は人並の後悔も感傷も知らず、人にほめられたいなどゝ考へたこともなく、男に愛されたいとも思はなかつた。私は男をだますために愛されたいと思つたが、愛すために愛されたいと思はなかつた。私は永遠の愛情などはてんで信じてゐなかつた。私はどうして人間が戦争をにくみ、平和を愛さねばならないのだか、疑つた。
私は密林の虎や熊や狐や狸のやうに、愛し、たはむれ、怖れ、逃げ、隠れ、息をひそめ、息を殺し、いのちを賭けて生きてゐたいと思つた。
私は野村を誘つて散歩につれだした。野村は足に怪我をして、やうやく歩けるやうになり、まだ長い歩行ができなかつた。怪我をした片足を休めるために、時々私の肩にすがつて、片足を宙ブラリンにする必要があつた。私は重たく苦しかつたが、彼が私によりかゝつてゐることを感じることが爽快だつた。焼跡は一面の野草であつた。
「戦争中は可愛がつてあげたから、今度はうんと困らしてあげるわね」
「いよいよ浮気を始めるのかね」
「もう戦争がなくなつたから、私がバクダンになるよりほかに手がないのよ」
「原子バクダンか」
「五百|封度《ポンド》ぐらゐの小型よ」
「ふむ。さすがに己れを知つてゐる」
野村は苦笑した。私は彼と密着して焼野の草の熱気の中に立つてゐることを歴史の中の出来事のやうに感じてゐた。これも思ひ出になるだらう。全ては過ぎる。夢のやうに。何物をも捉へることはできないのだ。私自身も思へばたゞ私の影にすぎないのだと思つた。私達は早晩別れるであらう。私はそれを悲しいことゝも思はなかつた。私達が動くと、私達の影が動く。どうして、みんな陳腐なのだらう、この影のやうに! 私はなぜだかひどく影が憎くなつて、胸がはりさけるやうだつた。[#地付き](新生特輯号の姉妹作)
底本:「坂口安吾全集 04」筑摩書房
1998(平成10)年5月22日初版第1刷発行
底本の親本:「サロン 第一巻第三号」
1946(昭和21)年11月1日発行
初出:「サロン 第一巻第三号」
1946(昭和21)年11月1日発行
入力:tatsuki
校正:宮元淳一
2006年5月5日作成
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