を語つてきかせた。林の奥に琴の音がするので松籟《しようらい》の中をすゝんで行くと、楼門の上で女が琴をひいてゐた。男はあやしい思ひになり女とちぎりを結んだが、女はかつぎをかぶつてゐて月光の下でも顔はしかとは分らなかつた。男は一夜の女に恋ひこがれる身となるのだが、琴をたよりに、やがてその女が時の皇后であることが分り……そんな風な物語であつた。
「戦争に負けると、却つてこんな風雅な国になるかも知れないな。国破れて山河ありといふが、それに、女があるのさ。松籟と月光と女とね、日本の女は焼けだされてアッパッパだが、結構夢の恋物語は始まることだらうさ」
野村は月光の下の私の顔をいとしがつて放さなかつた。深いみれんが分つた。戦争といふ否応のない期限づきのおかげで、私達の遊びが、こんなに無邪気で、こんなにアッサリして、みれんが深くて、いとしがつてゐられるのだといふことが沁々わかるのであつた。
「私はあなたの思ひ通りの可愛いゝ女房になつてあげるわ。私がどんな風なら、もつと可愛いゝと思ふのよ」
「さうだな。でも、マア、今までのまゝで、いゝよ」
「でもよ。教へてちやうだいよ。あなたの理想の女はどんな風なのよ」
「ねえ、君」
野村はしばらくの後、笑ひながら、言つた。
「君が俺の最後の女なんだぜ。え、さうなんだ。こればつかりは、理窟ぬきで、目の前にさしせまつてゐるのだからね」
私は野村の首つたまに噛《かじ》りついてやらずにゐられなかつた。彼はハッキリ覚悟をきめてゐた。男の覚悟といふものが、こんなに可愛いゝものだとは。男がいつもこんな覚悟をきめてゐるなら、私はいつもその男の可愛いゝ女でゐてやりたい。私は目をつぶつて考へた。特攻隊の若者もこんなに可愛いゝに相違ない。もつと可愛いゝに相違ない。どんな女がどんな風に可愛がつたり可愛がられたりしてゐるのだらう、と。
★
私は戦争がすんだとき、こんな風な終り方を考へてゐなかつたので、約束が違つたやうに戸惑ひした。格好がつかなくて困つた。尤も日本の政府も軍人も坊主も学者もスパイも床屋も闇屋も芸者もみんな格好がつかなかつたのだらう。カマキリは怒つた。かんかんに怒つた。こゝでやめるとは何事だ、と言つた。東京が焼けないうちになぜやめない、と言つた。日本中がやられるまでなぜやらないか、と言つた。カマキリは日本中の人間を自分よりも不幸な
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