、隠れた者はひきづりだして殺されると思つてゐた。私はその敵兵の目をさけて逃げ隠れながら野村と遊ぶたのしさを空想してゐた。それが何年つづくだらう。何年つゞくにしても、最後には里へ降りるときがあり、そして平和の日がきて、昔のやうな平和な退屈な日々が私達にもひらかれると、やつぱり私達は別れることになるだらうと私は考へてゐた。結局私の空想は、野村と別れるところで終りをつげた。二人で共しらが、そんなことは考へてみたこともない。私はそれから銘酒屋で働いて親爺をだまして若い燕をつくつてもいゝし、どんなことでも考へることができた。
私は野村が好きであり、愛してゐたが、どこが好きだの、なぜ好きだの、私のやうな女にそれはヤボなことだと思ふ。私は一しよに暮して、ともかく不快でないといふことで、これより大きな愛の理由はないのであつた。男はほかにたくさんをり、野村より立派な男もたくさんゐるのを忘れたためしがない。野村に抱かれ愛撫されながら、私は現に多くはそのことを考へてゐた。しかし、そんなことにこだはることはヤボといふものである。私は今でも、甘い夢が好きだつた。
人間は何でも考へることができるといふけれども、然し、ずいぶん窮屈な考へしかできないものだと私は思つてゐる。なぜつて、戦争中、私は夢にもこんな昔の生活が終戦|匆々《そうそう》訪れようとは考へることができなかつた。そして私は野村と二人、戦争といふ宿命に対して二人が一つのかたまりのやうな、そして必死に何かに立向つてゐるやうな、なつかしさ激しさいとしさを感じてゐた。私は遊びの枯渇に苛々し、身のまはりの退屈なあらゆる物、もとより野村もカマキリもみんな憎み、呪ひ、野村の愛撫も拒絶し、話しかけられても返事してやりたくなくなり、私はそんなとき自転車に乗つて焼跡を走るのであつた。若い職工や警防団がモンペをはかない私の素足をひやかしたり咎めたりするとムシャクシャして、ひつかけてやらうかと思ふのだつた。
けれども私の心には野村が可哀さうだと思ふ気持があつた。それは野村がどうせ戦争で殺されるといふことだつた。私は八割か九割か、あるひは十割まで、それを信じてゐたのだ。そして女の私は生き残り、それからは、どんなことでもできる、と信じてゐた。
私は一人の男の可愛い女房であつた、といふことを思ひ出の一ときれに残したいと願つてゐた。その男は私を可愛がりながら
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