。何事でも、考へることは、一般に、退屈であつた。そして私は、ともかく野村が私のからだに酔ひ、愛し溺れることに満足した。
 私は昔から天国だの神様だの上品にとりすましたものが嫌ひであつたが、自分が地獄から来た女だといふことは、このときまで考へたことはなかつた。私たちの住む街は私たちの一町四方ほどの三ツの隣組を残して一里四方の焼野原になつたが、もうこの街が燃えることがないと分ると、私は何か落胆を感じた。私は私の周囲の焼け野原が嫌ひであつた。再び燃えることがないからだつた。そしてB29[#「29」は縦中横]の訪れにも、以前ほどの張合ひを持つことができなくなつてゐた。
 けれども、敵の上陸、日本中の風の中を弾の矢が乱れ走り、爆弾がはねくるひ、人間どもが蜘蛛の子のやうに右往左往バタ/\倒れる最後の時が近づいてゐた。その日は私の生き甲斐であつた。私は私の街の空襲の翌日、広い焼跡を眺め廻して呟いてゐた。なんて呆気ないのだらう。人間のやること、なすこと、どうして何もかも、かう呆気なく終つてしまふのだらう。私は影を見たゞけで、何物も抱きしめて見たことがない。私は恋ひこがれ、背後にヒビがわれ、骨の中が旱魃《かんばつ》の畑のやうに乾からびてゐるやうだつた。私はラヂオの警報がB29[#「29」は縦中横]の大編隊三百機だの五百機だのと言ふたびに、なによ、五百機ぽつち。まだ三千機五千機にならないの、口ほどもない、私はぢり/\し、空いつぱいが飛行機の雲でかくれてしまふ大編隊の来襲を夢想して、たのしんでゐた。

          ★

 カマキリも焼けた。デブも焼けた。
 カマキリは同居させてくれと頼みにきたが、私は邪険に突き放した。彼はかねてこの辺では例の少い金のかゝつた防空壕をつくつてゐた。家財の大半は入れることができ、直撃されぬ限り焼けないだけの仕掛があつた。彼は貧弱な壕しかない私達をひやかして、家具は疎開させたかね、この壕には蓋がないね、焼けても困らない人達は羨しいね、などゝ言つたが、実際は私達の不用意を冷笑してをり、焼けて困つてボンヤリするのを楽しみにしてゐたのだつた。カマキリは悪魔的な敗戦希願者であつたから、B29[#「29」は縦中横]の編隊の数が一万二万にならないことに苛々《いらいら》する一人であつた。東京中が焼け野になることを信じてをり、その焼け野も御叮嚀に重砲の弾であばたになる
前へ 次へ
全14ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング