かりでロクな作品が書けなかった。
 日本文学はいまだにオカユをすすって精神だの、自ら嘆いては頽廃だのとオマジナイのような架空な精神主義に支配されている低俗なものだから(これを低俗という)新聞雑誌の文学に対する仕掛には、作家に本当のハゲミを与えて傑作を書かせる実質的な手段を自覚しておらぬ。もっとも、作家の方が自覚しておらず、ジックリ腰でもすえれば、どんな傑作でも出来るものだと考えているのだから、無理からぬところでもある。
 傑作は鼻歌をうたいながら書きなぐっても出来あがるもので、どんな通俗な取引でもよろしい。ただ、作家の才能を見つけたら、モトデをかけるのだ。金を使うのだ。作家に存分の生活(オカユの生活ではダメだ)を保証してやるのだ。作家は心に励みがあれば、泥酔からさめるやガバとはね起き筆を握ってオデン屋でも待合でも焼跡の野原の上でもたちまちにして傑作を書いてしまうであろう。文学とはたかがそれぐらいのものです。



底本:「坂口安吾全集 05」筑摩書房
   1998(平成10)年6月20日初版第1刷発行
底本の親本:「東京新聞 第一六九一号」
   1947(昭和22)年5月27日
初出:「東京新聞 第一六九一号」
   1947(昭和22)年5月27日
入力:tatsuki
校正:oterudon
2007年7月15日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング