五分の星、ともに勝つて星を残したい所でございます、と言ふ。三勝三敗同士がぶつかると、必ずかういふ算術をといてきかせる。
共に三勝三敗でございます。それだけで沢山である。三勝三敗なら五分の星だといふことは子供でも知つてゐるし、どつちも勝ちたがつてゐるに極まつてゐること言ふ迄もない。
ベルリンのオリムピックの放送で、女子平泳の予選の時、支那のヤン嬢(多分さういふ名であつたと思ふが)がひどく派手な緑の水着をきて、外の選手がみんな水へ飛び込んでウォームアップをしてゐるのに、このお嬢さんだけはどこを風が吹くかといふやうにスタート台に悠々腰を下して水面を眺めてゐるだけである。さういふ放送があつた。名放送である。どうして、かういふ事実をとらへて目のない聴衆に伝へてくれないのであらうか。
ヤン嬢のやうに強烈な個性を示した好都合の場合ばかりはあるまいが、とにかく、どの競技者にも個性がある筈だ。が、放送には個性がきこえてこないのだ。個性をとらへるとは、事実をとらへることだ。どのやうな事実をとらへるか。これこそ技術者の一生を賭けた重大問題の筈である。小説家の小説に於ける場合に於ても。
底本:「坂
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