るい湯の温泉は、たいがい胃腸病と神経病にきく、というような極く有りふれた効能が書いてある。温泉が精神病にきくということは外国でも昔から言い伝えのあったものであるが、ぬるい湯にジッとつかっていれば精神が鎮静する。誰にでも目に見えて分ることだから、そういう効能がどこの国でも昔から言われていたのは当然であろう。
 私はぬる湯が好きだから、ぬるい湯の温泉を好む。昔は旅費らしいものも持たなかったから、近在の百姓だけが湯治にくるような都会人の知らない温泉を選んで行くのであるが、するとそこが頭の病気にきく温泉で、頭の怪しい人物をかこんでその一家が各室を占めている。どこの部屋でも、その家族の一人に頭の怪しい人物がいるという風景に何回もでくわしたものである。実に日本の農村には頭の怪しい人物が多いものだということをシミジミ味わされたのである。精神病院へ行ってみてもそうである。農村だの漁村からの患者が多い。病院だの湯治に行かない患者の数は更に多いであろうと思われるのである。
 神経衰弱は現代だけの物ではないのだ。モノノケだの神様だのが根強く信じられていた大昔には、人間の悩みの種は今よりも少いということは決してない。ただそれが神経衰弱だの病気だのとは考えられずに、キツネがついたとか、怨霊がついたとか、人に呪いをかけられたとか、神通力を得たとか、ミコだとか、そういう風に解釈されていただけであろう。にわかに人間が変った、バカ利巧になったとか、その利巧ということが今日の利巧とはちがって、キツネツキの占いの力の如きも昔に於ては利巧のうちであり得たであろう。そういうキチガイは無数にあったのだ。
 大昔にあっては、酒というものも、酒に酔っている時の愉しさだけが酒の力であって、その翌日のフツカヨイの副作用の如きは酒のせいとは考えられていなかったに相違ない。梅毒はコロンブスのアメリカ発見以来全世界を征服したが、梅毒のためにウミが出たり腫れ物がでたりすることはすぐ判ったが、それから十年も潜伏して突然発狂するのが梅毒のせいだということは、実に十九世紀に至るまで判らなかった。十年も潜伏してでるために、それと梅毒とは別なものだというように、相当文明開化の時代になっても考えられていたのだ。まして酒の副作用で翌朝酔いがさめてから陰鬱になるというようなことが昔の人々に知りうるわけはなく、酒の力はその酒をのみ直接きいて愉
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