のである。
わが家へ来る人の全てが、綱男は泣くことが少いという点で評判が一致するようになったので、私もよほど気持が楽になった。私は女房がニンシンした時から、むかし何かの雑誌で見た千葉のお助けジイサンが子供の虫封じをしている写真を思いだして助からないような気持に苦しんでいたのであるが、意外にも、私の子供ともあろうものが、千葉のお助けジイサンの世話になりそうなところがミジンもなく、癇性のところがない。何より私は安心した。
二ヵ月ぐらいたつうちに笑顔を見せるようになった。そうなると可愛くなった。犬と同じぐらいに可愛くなった。三ヵ月目ぐらいには、私を見ると笑顔で応じるようになり、犬よりも可愛くなったのである。二ヵ月目ぐらいの時に無理に抱かされたが、百日目ぐらいから、進んで子供を抱く気持にもなった。
私には財産が全くないので、今頃になって子供が生れると、何よりもその行末を案じることが先に立つ。女の子が生れるとよいと思ったのも、一つには女の子なら早く一人前になってオヨメに行ってくれるからという考えでもあったような次第で、男の子が生れたについては、その点でも暗い気持になった。否応なく生きて働かなければならないのかということが甚だ負担に思われて、ややステバチのような気持にもならざるを得なかった。
しかし、わが子が犬よりも可愛いと思うようになると、その不安も暗さも、だんだん薄れるようになった。別に、生きぬいて働く自信ができたわけではないが、なんとなくただ漫然と自信がついてきたのである。
何よりも、子供が生れつき非常に健康で病的なところがないのが、私には奇蹟的に思われて、それが自信をつけてくれたのかも知れない。とにかく私は、自分が梅毒ではないかとか、カタワの子供が生れやしないかとか、生れた時からのキチガイで母親を蹴殺してオヤジにいきなり襲いかかるような妖怪が生れやしないかなぞと、最悪のことばかり考えていた。したがって、よい子が生れ、それをどう育ててどんなにするなぞという世間なみのことは全然考えていなかったのである。そんな子は生れる見込がないとやや絶望的にきめこんでいた傾きがあった。したがって、当り前の子供が生れたということだけですでに私には奇蹟的に思われ、それだけで自信がついたのかも知れないのだ。
まったく私には子供が生れたということが今でも奇蹟的に思うような気持が強い。オ
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