千谷先生と申すのが、これ又、往年、梶原千谷というバッテリーで、一高から帝大にならした捕手、僕も大きい方だが、千谷さんはもう二廻りぐらい大きく、僕はグランドの勇姿を見なかったが、守備よりも打撃に秀で、四番を打った好打者だったそうである。妙に野球に縁のある入院であった。
 東大神経科の野球チームは内村投手、千谷捕手という凄いバッテリーであるが、実のところは、各科の対抗で最も弱い方のチームだそうである。年齢には勝てない。打つ、投げる、はまだいゝのですが、走る方がもうダメですと、千谷先生は嘆いていたが、まさに同感、僕らの年齢になると、ホームランを打っても、せいぜい二塁で息がつづかず、休息ということになり、その疲労で一度にグッタリしてしまう。
 然し、内村大投手、千谷大捕手という恵まれた先生方のおかげで、坂口小選手は異例の野球見物を許されたが、ほかの患者は大いに羨望し、その結果かどうか知らないが、脱走をはかったのが二人もあり、一人は十八ぐらいの静岡の娘で、これは僕の女房にとりいって、ひそかに脱走の機を狙っていた。女房は相手が分裂病の患者とは、知らないから、お金を貸したり、今にも一緒に外出というと
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