ために書かれている。現実をたのまず、自ら変化することを望む好学的な、そして私流の言い方で言えば、反逆的な、闘争的な、破壊的な人々のために書かれている。純粋な青年のために書かれている。
*
然し芸術は理論でない。芸術は理論的に説明し得るものではない。若し理論によって説明し得る芸術があるとすれば、それは本来芸術ではなかったのだ。芸術は芸術それ自らのもつ感銘によって読者に訴えるものだ。
私は昨日までの二日間に於て、新らしき文学の本質問題を述べ、従来の末梢的な新興文学と称するものを否定し、プロレタリア文学を否定し無気力な老人趣味的文学を否定した。そして、反逆的な、それ故、時代創造的な意思によって、血と肉の人間悲劇を語るものが文学であることを述べた。私に許された紙数は至極簡単な、いわば骨組的な荒筋を述べるほかに仕方がなかったが、然したとえ幾十枚の紙数を許されたにしても、理論は結局理論でしかない。いかほど具体的に詳述するとしても、芸術家は芸術以外に武器はない。
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今度我々九名の同志が新らしき文学の建設を意図して「桜の会」を結成し、機関紙「桜」を発刊した。我々の仕事はこれによって其の実際を知っていただきたい。
私は確言するが、真実の文学は今我々の仕事のほかにない。
諸君は私の此の言い方を愚な宣伝と冷笑してはならない。懐疑それ自身は別である、突きつめるところ、自信なく、且つ自己を主張せんとする因循な衒学的な気取りはもう私に必要でない。我々の時代には飛ぶ矢は常に飛んでいる。身をもってなす仕事には悔なく自分を主張しなければならぬ。雑誌「桜」を読んでくれたまえ。ここに真実の新らしき文学がある。
[#地付き]『時事新報』昭8・5・4〜6
底本:「坂口安吾選集 第十巻エッセイ1」講談社
1982(昭和57)年8月12日第1刷発行
初出:「時事新報」
1933(昭和8)年5月4日〜6日号
入力:高田農業高校生産技術科流通経済コース
校正:小林繁雄
2006年9月16日作成
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