なおさらだ。最短距離の茂手木よりも辰男の方が往復に有利と見てよい。辰男の位置の場合、遠距離ということは苦にならないのである。暗幕に沿って歩けばよいのだ。
 こうしてみると、動機の上でも位置からでも辰男が最有力の容疑であるが、糸子の嘲りに対してジダンダふみ駈けまわって必死にこらえていたあの有様はどう解釈すべきだろうか。再び人殺しを犯す苦を必死にこらえていたのか。
 むしろあのジダンダはとうてい殺人のできない弱気な小心な性格を現しているのではなかろうか。九太夫はあのジダンダになんとなく好意をいだいているのだ。この結論はだせなかった。
 さて、その翌朝だ。オハヨー、奇術師サンと云って糸子がやってきた。
「ゆうべはウンザリして逃げたんですか」
「イエ、とんでもない。むしろあなたの一族にはじめて好意をもったのですよ。あなた方四人の兄妹にね」
 糸子は素直にうなずいた。
「私もオジサンが好きになったわ。以心伝心ね。タデ食う虫も好き好きかな。勝美姉さんたらあんな人殺しが好きになるんだもの。私はね、今日は重大な報告に来たんです。吉田八十松ッてイヤらしいわね。ゆうべ私の寝室へ忍びこんできてね、私が蹴とばしてやったら、女中部屋へ行ったんです。その騒ぎ声に一メートルの先生が目をさましてね。彼氏フンゼンとふるいたつと凄い力でしょう。腕の太さだったらお相撲ぐらいあるんですからね。八十松をノックアウトしちゃッて小気味よかったわよ。なんしろストレートパンチがオナカから下の方だけにしか命中しないんですから心霊術の先生もたまらないわよ」
「生命に別状はなかったわけですね」
「それはもう熟練してるから。宿屋の番頭は酔っ払いを適当に殴る限度を心得るのが重大な職業技術の一ツなんですッてね。ええと、重大な報告というのは、それじゃアなかったんですけど、女中のミネチャンがね、そんなことがあったんで思いだしたらしいんですが、どうもね、あの開けずの荷物が変なんですよ。あの荷物だけ直接ウチへ送りこまれたらしいんですね。ミネチャンから知らせを聞いて八十松クンが荷を受けとった時にね、どうも変だな、なんの荷物だろうと云ってとてもフシギがってたんですって。ともかく開けてみようてんでミネチャンに庖丁を持ってこさして今や開けようというところへ父が血相変えて出て来たんですってね。待て! それはオレのだ! と云って凄い見幕で怒鳴った
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