ない顔でもどる。すると仙七はすでにちゃんとポータブルを前に坐っていて、
「術の前後に音楽をならす。術者はこの音楽中に徐々に術の状態に入り、また音楽中に徐々に術の状態からさめる習いになっておる。音楽をならす場合を心得てるのは私だけだから、これを私がやる。曲はユーモレスクだ。誰か電燈を消しなさい。タバコを御遠慮を願う」
 そのために灰皿の用意もなかったのだ。タバコを吸ってる者が慌ててタバコの箱で火をすり消したりしているうちに、糸子が立って電燈のスイッチをひねった。仙七がよその座敷や廊下の電燈を消しておいたので一瞬にして真の闇になってしまった。テーブル上の夜光塗料をぬった品物だけが浮いて見える。
「オーウ」
 という遠い山のフクロウのような声がきこえた。はじめて発した吉田八十松の声なのである。するとそれにつづいてポータブルが廻りはじめた。あまりその場にふさわしくないややカン高の音楽であった。
 その音楽が終りの方に近づいた一瞬、九太夫にとっては思いがけないことが起った。テーブルの向う側にドーンと重い何かが落下したからである。テーブルの上のものではない。それはそのまままだ動いたものがないからである。かなりの重みの鉄のタマのようなものらしく[#「らしく」に傍点]ドーンと落ちてころがったようだ。つづいて、
「キキキキキ、ガガガガガ、ガンガンガン」
 しッきりなしに不快きわまる大音を発するものがテーブルの向う側を動きまわりはじめた。これもテーブルの上のものではない。目に見えないものだ。何か子供のオモチャのたぐいであろうか。しかしオモチャの金属質の高音をさらに何倍もけたたましくしたようなもので、怪物どもの泣き声とも笑い声とも怒り声ともとれるような醜怪な音響だ。部屋いっぱいにはね狂うように充満して響きたつのだからたまらない。
「ウム」
「ウーン」
 諸方で誰かが呻きを発した。二三人にとどまらない。一人の呻きをきくと、ひきずられて思わずうめかずにはいられなかったのである。
 怪音が三四十秒つづいて終ると、すでに音楽も終っていた。にわかにハモニカが宙にういてプープー鳴りはじめた。人が吹いているのではない。なぜならハモニカは人の頭よりも高いところをクルクル舞い廻っているからである。突然メガホンも宙を舞いはじめた。つづいてラッパが舞い上った。三ツ一しょに目まぐるしくクルクル舞い狂ったあげく、
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