の上人は、まったく悲惨な生活であった。
天皇は皇子皇女をたいがい寺へ入れる。皇女の方は尼だ。関白も大納言も、そうだ。足利将軍もそうだ。子供は坊主や尼にする。門跡寺、宮門跡などと云って、その寺格を取引にして、お寺から月々年々の扶持《ふち》を受けるという仕組であった。そのほかには暮しの手だてがなかった。
万里小路大納言惟房も、松永弾正という老|蝮《まむし》の目玉は怖しい。然し、お米をたらふく食べてみたい。だから、こまった。大変なことになった、困った、困った、と言った。
けれども、煩悶しながらも、筆をとって、二通の綸旨をかいた。上※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]《じょうろう》房子が女房奉書をかいた。これを立入左京亮に渡しながら、あゝ、大変なことになった、こまったこまった、と、まだ大納言はつぶやいていた。だから、その晩は一睡もできない。立入左京亮と、道案内の磯貝まで、心痛になって、やっぱり一晩ねむれない始末であった。
翌日早朝、天皇は惟房を召して、上※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]やおまえ方の心づくし、うれしく思う、この上は念を入
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