。彼を育てた忠義一徹の老臣は、餓鬼大将のタワケぶりに絶望して、自殺した。
 餓鬼大将はケンカだけは強かった。ケンカの稽古は大好きだ。そして、当時流行の短槍よりも、長槍の方が有利であると見ぬいて、自分の家来に三間半の長槍をもたせたほど、幼少にしてケンカの心得にレンタツしていた。四月から十月まで河に入りびたって水練は河童の域に達し、朝夕は馬の稽古、弓を市川大介に、鉄砲を橋本一巴に、兵法を平田三位に、これが日課で、外に角力《すもう》と鷹狩は餓鬼大将の時から死に至るまでの大好物、天下統一の後もハダカになって小者と角力をとっていた男であった。
 ケンカ達者の餓鬼大将は、その要領で戦争して、まア、なんとなく、勝っていた。家来たちには、そうとしか思われなかった。
 信長は今川義元を破って、バカ大将、一躍して天下疑問の名将に出世したが、家来たちには、偶然の奇蹟、まぐれ当りという疑惑が、知らない他人たちよりも強く残って頭から放れなかった。
 今川義元は東海の重鎮、名だたる名将であり、天下統一の万人許した候補者であった。その家柄は足利につぐ名門だ。これにくらべれば、信長は、小大名の奉行の倅《せがれ》にすぎ
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