寺で対面、たゞちに京都奪還の軍備をたてゝ、シャニムニ進撃、たちまち京都へとびこんでしまった。
 あんまり仕事が早すぎるので、老蝮もめんくらった。あれだけ内通してかねて友情をみせてあるのに、挨拶なしに、足もとから鳥がとびたつように、いきなり膝もとへ押しよせてきたから、慌てゝ頭から湯気をたて、ブウブウ言いながら、防いでみたが、この老蝮は元々戦争は強くない。なんとなくハメ手を用い、口先でごまかし、それで天下はとったけれども、戦争すると、あんまり勝ったことはない。ヤケクソに大仏殿へ夜討ちをかけて火をかけて、ブザマなことをやりながら、やっぱり負けて逃げだしている老蝮であった。いつも負けて、それから口先でごまかして、ウヤムヤにすましてしまうのであった。
 いつものことだが、老蝮の逃げ足だけは見事であった。逃げるにかけては、危なげというものがない。兵をまとめてサッと大和へにげのびて、神妙に降参した。
 信長について入洛《じゅらく》し、将軍の位についた義昭は、万端信長の意にまかして、いかにも信長の恩義を徳とするフリをしてみせたが、老蝮の処刑ばかりは、さすがに大いに言い張った。然し、信長は、とりあわない。
 老蝮は命が助かったばかりではなく、信貴《しぎ》の本城をそのまゝ許され、大和一国はその切りとりに任かされたのである。
 悪魔同志の友情であった。老蝮はさっそく御礼に参上して、最も熱心に、そのウンチクをかたむけて、あれかれと政治むきの助言をしていた。この不可思議の友情は、然し、大いに清潔なものであったと云わねばならぬ。人間どもには分らない謎なのである。そもこの友情はいかに育ち、いかに破れるに至るであろうか。
[#地付き](未完)



底本:「坂口安吾全集 07」筑摩書房
   1998(平成10)年8月20日初版第1刷発行
底本の親本:「季刊作品 第一号」創芸社
   1948(昭和23)年8月10日発行
初出:「季刊作品 第一号」創芸社
   1948(昭和23)年8月10日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:土井 亨
2006年7月11日作成
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