らぬ何かを考へてゐるのぢやないかと思つてゐたのだがね、あのとき何を考へてゐるのか、教へて貰ふわけに行かないかね」
 女はわけが分らないといふ顔をした。そのあとでは、てれたやうに、かすかに笑つた。
「そんなこと、きくものぢやないわ。女は深刻なことなど考へてをりませんから」
 そして、まじめな顔になつて、
「あなたは私を可愛がつて下さつたわね」
「君は可愛がられたと思ふのかい?」
「えゝ、とてもよ」
 女の返事は素直であつた。
 女は例の一時的な感動に亢奮してゐるだけなのだと野村は思つた。そして感動の底をわれば、いづれは別れる運命、別れずにゐられぬ女自身の本性を嗅ぎ当ててゐることのあらはれではないかと疑つた。
「僕は可愛がつたことなぞないよ。いはゞ、たゞ、色餓鬼だね。たゞあさましい姿だよ。君を侮辱し、むさぼつたゞけぢやないか。君にそれが分らぬ筈はないぢやないか」
 彼は吐きだすやうに言つた。
「でも、人間は、それだけのものよ。それだけで、いゝのよ」
 女の目が白く鈍つたやうに感じた。驚くべき真実を女が語つたのだと野村は思つた。この言葉だけは、女の偽らぬ心の一部だと悟つたのだ。遊びがすべて。それがこの人の全身的な思想なのだ。そのくせ、この人の肉体は遊びの感覚に不具だつた。
 この思想にはついて行けないと野村は思つた。高められた何かが欲しい。けれども所詮夫婦関係はこれだけのものになるのぢやないかといふ気にもなる。案外良い女房なのかも知れないと野村は思つた。
「いつまでも、このまゝでゐたいね」
「本当にさう思ふの」
「君はどう思つてゐるの?」
「私は死んだ方がいゝのよ」
 と、女はあたりまへのことのやうに言つた。まんざら嘘でもないやうな響きもこもつてゐるやうだつた。淫奔な自分の性根を憎むせゐだらうとしか思はれなかつた。死ねるものか。たゞ気休めのオモチャなのだ。そして野村は言葉とはあべこべに、女とは別れた方がよいのだと思ひめぐらしてゐた。
「あなたは遊びを汚いと思つてゐるのよ。だから私を汚がつたり、憎んでゐるのよ。勿論あなた自身も自分は汚いと思つてゐるわ。けれども、あなたはそこから脱けだしたい、もつと、綺麗に、高くなりたいと思つてゐるのよ」
 言葉と共に女の眼には憎しみがこもつてきた。顔はけはしく険悪になつた。
「あなたは卑怯よ。御自分が汚くてゐて、高くなりたいの、脱けだしたい
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