れて、碁界は三連星、天元等々新風サッソウたるにひきかえ、将棋の方は老朽七八段がガンクビを揃えて、あとにつゞく新風なく、養老院のような衰弱ぶりを示していたのであった。
 今はアベコベである。木谷は老い、日本棋院も老いた。藤沢をのぞけば、将棋に於ける如く老朽高段者をナデ斬りにするような新人の陸続たる登場はとても望めない。
 一人の藤沢あるにしても、独善的に九段を与えて、呉清源や橋本の挑戦に応じさせないという没落貴族の気位の如きものを持している。秘宝を公開しない法隆寺と同じようなバカらしさで、本因坊戦などゝいう一家名の争いを最上の行事として、実力第一の名人戦をひらいて、全世界に覇者をもとめるだけの識見もないのである。他のスポーツやゲームに於ては、すべて国際的にチャンピオンシップが争われているのに、碁に於ては、名人位を国外に持ち去らるるのを怖るるのみではなく、一日本棋院という団体以外に持ち去られることを怖れて、他の流派や団体との争碁すら差しとめている哀れさである。最も取り残されたものは日本棋院で、現代の妖怪変幻のようなものだ。
 しかし、新風を怖れる保守思想とか、自己保存思想というものは、特に
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