のことが云えるであろうが、私の意見では、芸術がわりあいに一般の人々の身近かなものになり、多少とも生活の伴侶に近づきつつあることが最大の収穫ではなかったかと思う。青年たちに於てそうである。
山際青年は手記の中で若きヴェルテルの清純な恋を欲しても大人のゲルの世界に負けてしまうという手記を書いて世間の物笑いの種になったようだが、アンチャンの手記の内容が空虚なのは今も昔も変りのないことで、変っているのは、マーケットのアンチャンまで、若きヴェルテルだのジイドだのというものを読んでいることは、昔はなかったことであろう。
たとえば左文嬢のような大学教授の娘が自動車運転手のアンチャンと友人として交際するというようなことが、昔は殆ど有りうべからざることであったが今ではフシギなことではない。つまり、昔の上流階級や中産階級の教養が、おのずから下達する情勢となり、アンチャンの生活に芸術への理解という必要を加えたりしている向きもあるようだ。
又、アベコベに、横浜の魚屋からヒバリ嬢が現れた如くに、農民や漁師や商人の生活が裕福になって、私の住む伊東では、漁師の家から小学校の娘のピアノの音をもれきくことができるようなことになった。八百屋の娘がバレーを習ったり、あべこべに斜陽階級の娘がタップを覚えたり、子供たちの話題も、芸術方面に於てグッと幅がひろくなったようだ。昔の中産階級の子女がお茶やお花を習ったのと同じように、ちかごろの小金のある庶民の子女はピアノやバレーや声楽などを習うような風潮になったのだ。お茶やお花の修業が儀礼的であったのに比べて、ピアノやバレーは自発的であり、研究熱心でもあるし、芸論を闘わすほど子供たちの本当の生活にもなっている。ラジオの「ノド自慢」なども、一部には悪評であっても、庶民生活へ芸術を近づける一助になっていることは確かである。
日本の庶民生活には芸術を友とするようなものがなかったから、いきおい大人になってから、専門の一芸を身につけても、作家、画家、音楽家、俳優、みんな芸が孤立している。そこで、これ一とまとめに教養化しなければ、すぐれた芸術は生れないというような枯渇感や願望が起って「雲の会」などもおのずから出来たのであろう。
しかし芸術の横のレンラクということだけではまだ不足で、たとえば「文学座」の演技を見ても痛感されることは、子供の時から芸術になれ芸術を友だちにして育った生活がないというところからくるギゴチなさである。つまり頭は進んでいても眼高手低をまぬがれない。これを子供の時からその世界で叩きあげている「歌舞伎」にくらべると、新劇の眼高手低の甚しさがハッキリする。
そのような意味でも、戦後、庶民生活に、特にその子供たちの生活の中に、芸術が生活の一部に、又はそれに近い親しいものになりつつあるということは、慶賀すべきことだ。それは芸術界のためにのみ慶賀すべきことではなくて、日本の永遠の平和な生活のためにも。
だいたい日本人はいろいろの人種の中で最も温和を好む人種の一ツではないかと私は思う。現在、切符売場の行列、乗降の混乱など団体生活の秩序が乱れているのは、負けた兵隊や難民のドサクサまぎれの根性が露骨に現れているだけのことで、この焼野原の雑居生活でこうなるのは仕方がない。もとはといえば、なりたくもない兵隊にさせられ、あげくに戦争して負けたせいで、本来、大多数の日本人というものは、むしろ困ったことであるほど事なかれ主義で、進歩的なもの、改善をすら好まないほど大保守家なのである。こういう保守的な国民に必要なのは、芸術を生活の友とすることである。しかし、古来の伝統の芸術は、いずれもその国民性によって、型となり、奥義となり、神秘化され、常に現実から離脱して古典化を急ぎたがる傾向であったのである。
我々の生活の中に西洋の音楽や踊りや劇や映画がはいってきたことは、我々の保守すぎる傾斜を正して、世界の一様の水準においてくれるものでもあり、すくなくとも芸術生活において、国民性として古典化や型化を急ぎ、神秘主義者になりたがることが、防がれることにもなるのだ。我々の生活は、世界の芸術を友とすることによって、自然にその進歩にもついて行き、コチコチの島国根性にいつも一つの通風孔をあけていることにもなるであろう。さすれば神がかりになる率もよほど少くなるだろう。
日本共産党は、殆ど理知が基盤となっていないのだ。そして、スパイ的、陰謀的、好戦的である。しかしその根本にあるものは、正義感でもなければ人間愛でもない。神がかりなのだ。そして、通風孔がないのである。
漁師や魚屋の娘がピアノやバレーを習いだしたように、共産党のテキハツ隊やヤミ屋諸氏も、娘にピアノやバレーを習わせたまえ。
底本:「坂口安吾全集 11」筑摩書房
1998(平成10)年12月20日初版第1刷発行
底本の親本:「新潮 第四八巻第三号」
1951(昭和26)年2月1日発行
初出:「新潮 第四八巻第三号」
1951(昭和26)年2月1日発行
入力:tatsuki
校正:noriko saito
2009年3月17日作成
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