て育った生活がないというところからくるギゴチなさである。つまり頭は進んでいても眼高手低をまぬがれない。これを子供の時からその世界で叩きあげている「歌舞伎」にくらべると、新劇の眼高手低の甚しさがハッキリする。
 そのような意味でも、戦後、庶民生活に、特にその子供たちの生活の中に、芸術が生活の一部に、又はそれに近い親しいものになりつつあるということは、慶賀すべきことだ。それは芸術界のためにのみ慶賀すべきことではなくて、日本の永遠の平和な生活のためにも。
 だいたい日本人はいろいろの人種の中で最も温和を好む人種の一ツではないかと私は思う。現在、切符売場の行列、乗降の混乱など団体生活の秩序が乱れているのは、負けた兵隊や難民のドサクサまぎれの根性が露骨に現れているだけのことで、この焼野原の雑居生活でこうなるのは仕方がない。もとはといえば、なりたくもない兵隊にさせられ、あげくに戦争して負けたせいで、本来、大多数の日本人というものは、むしろ困ったことであるほど事なかれ主義で、進歩的なもの、改善をすら好まないほど大保守家なのである。こういう保守的な国民に必要なのは、芸術を生活の友とすることである。しか
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