、漂白された腥《なまぐさ》い視野が、日と共に広々と遠く延びて行くやうである。茫漠として――泌《し》みつくやうな、どうも、遣り切れない虚しさである。
 私の場合では、私は別に、私の性格に就てさへ異常さを誇らうとした事もなかつた。一個の、ありきたりの凡人に過ぎないことを充分に知つてゐたのだ。友人達のやうに、私は神経質でさへなかつた。昔は、健康も人に勝れ、旺盛な食慾もあつたし、睡むい時には落ちて行くやうに寝付いたまま、グッスリ半日の余も睡むることが出来たのである。無論敏感ではないが、さりとて並以下に鈍感といふこともなく――さて、今となつては、音の感受性に就てさへ、何等の特異さを認めることも出来ないのだ。日常に於て、私は、音楽のことを語るよりも遊び興ずることが好きであつた。
 私は、今、何をする根気も持つことが出来ないのだ。否応なしに――全く、否応なしに、私は――いはば自我といふ意識が、何かしら中心となるべき勘所が、私の中に見当らないのだ。何もせずにボンヤリ毎日を暮してゐると、食慾だけは衰へもせず、むしろ存分に喰ふこともでき、食べたあとでは幾時間でも睡むることが出来るのである。昼夜の分ちなく、私は、宿の二階にウトウトと、又、グッスリと、寝倒れてゐるのだ。勿論、考へることは、何一つとして無いやうである。
 斯うしてボンヤリしてゐると――私の下宿は坂の真下に当るうへに、深々とした欅の木立に取り囲まれてゐるので、夏の盛りであるといふのに終日陽射しを受けることなく、ジインと静まり返つてゐる。気がつくと、坂下の街一杯に蝉の音《ね》が澱んでゐるのだ。日盛りにも、高い場所には綺麗な風が吹き渡るものとみえて、欅の頭に颯々と葉の鳴る音が聴えたりする。黄昏のこと、夕立の来る気配がして、頻りに冷いものが流れ、何かしら緊張した冷気の中に、重苦しげな灌木の葉摩れや、又、高い空には欅の繁みが葉先を立てて、不気味に戦《そよ》いだりしてゐることがあつた。さういふ夕辺も、あつたのである。時々、我に返ると――(私は嗤はれることを厭はないが――)私は泪を流してゐるのであつた。如何とも仕方がないと言ふほかはない。別に意識のあるわけでなし、心を鎮めて伏してゐると、果ての知れない遠い処に澎湃《ほうはい》と溢れ、静かに零《こぼ》れるものがあつた。
 ところが、私の下宿では、(これは素人下宿であるが――)、ボンヤリと寝て
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