真犯人でなくとも、このような時には顔をかくしたがるかも知れぬ、という点を一応つきとめるべきだろう。一般的に云って、顔をかくすのは、おかしい。水戸の容疑者がヘイチャラな顔をして、アア、帝銀の問題ですか、と笑って云ったというのは、真犯人でなければ、それが当然そうあるべきことなのである。
私は、H画伯が真犯人か、どうか、それを論じているのではないのである。私などに、そんなことを論じうる能力があるべきものではない。
たゞ、私の言いたいことは、H画伯には、ともかく、容疑をかけられて然るべき合理性があった。金の出所とか、松井名刺の行方とか、二月十日から他出したことゝか、それに明確な解答が与えられざる限り、容疑をかけられるのは自然で、そこには、不合理はないのである。
首実検などという、原始、素朴、文化以前の方法に殆ど信頼の大半をかけているジャーナリズムの軽薄さを、指摘したかったのである。
然し、警察も、大いに責めらるべきだ。首実検が、かく人々に信頼さるゝに至ったのも、元はといえば、当局のつくった似顔絵という反文化的方法に、責任があるからだ。
又、当局は、アリバイ、ということを云う。半年以上
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