化た笑ひを浮べて白紙の答案をだす。みんな笑ふ。私は英雄のやうな気取つた様子でアバヨと外へ出て行くが、私の胸は切なさで破れないのが不思議であつた。
私が落第したので私の家では私に家庭教師をつけた。医科大学の秀才で、金野巌といふ人で、盛岡の人であつた。然し、私が眼鏡がなくて黒板の字が見えないから学校へ行かないといふことは金野先生も知らないし、意地つ張りで見栄坊の私はそれを白状することが出来ないので、相変らず毎日学校を休み、天気の良い日は海の松林で、雨の日は学校の横手のパン屋の二階でねころんでゐた。そして学校を追ひだされたのである。そして私は東京の中学へ入学したが、母と別れることができる喜びで、そして、たぶん東京では眼鏡を買ふことができ、勉強することが出来る喜びで、希望にかゞやいてゐた。私は然し母と別れてのち母を世の誰よりも愛してゐることを知つた。
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新潟中学の私は全く無茶で、私は無礼千万な子供であり、姓は忘れてしまつたがモデルといふ渾名の絵の先生が主任で、欠席届をだせといふ。私は偽造してきて、ハイヨといつて先生に投げて渡した。先生は気の弱い人だから恨めしさうに怒りをこめて睨んだだけだが、私は今でも済まないことだと思つてゐる。先生にバケツを投げつけて窓から逃げだしたり、毎日学校を休んでゐるくせに、放課後になると柔道だけ稽古に行く。先生に見つかつて逃げだす。そして、北村といふチョーチン屋の子供だの大谷といふ女郎屋の子供と六花会といふのを作り、学校を休んでパン屋の二階でカルタの稽古をしてゐた。カルタといふのは小倉百人一首のことで、正月やるあの遊びで、これを一年半も毎日々々学校を休んで夢中で練習してゐたのだから全く話にならない。大谷といふ女郎屋の倅は二年生のくせに薬瓶へ酒をつめて学校で飲んでゐる男で、試験のとき英語の先生のところへ忍んで行つて試験の問題を盗んできたことがあつた。私が家から刀を盗んできて売つて酒をのんだこともあり、一度だけだが、料理屋でドンチャン騒ぎをやらかしたことがある。かういふことは大谷が先生であつたやうで、外に渡辺といふ達人もゐた。これが中学二年生の行状で、荒れ果てゝゐたが、私の魂は今と変らぬ切ないものであつた。この切なさは全く今と変らない。恐らく終生変らず、又、育つこともないもので、怖れ、恋ふる切なさ、逃げ、高まりたい切なさ、
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