本武蔵の言葉だということであったが、このように堂々と宣言されてみると、宮本武蔵の後悔すべからず、と、僕の後悔すべからずでは大分違う。『葉隠れ論語』によると、どんな悪い事でもいったん自分がやらかしてしまった以上は、美名をつけて誤魔化してしまえ、と諭しているそうだけれども、僕はこれほど堂々と自我主義を押通す気持はない。もっと他人というものを考えずにはいられないし、自分の弱点に就て、常に思いを致し、嘆かずにもいられぬ。こういう『葉隠れ論語』流の達人をみると、僕はまっさきに喧嘩がしたくなるのである。
いわば、僕が「後悔しない」と云うのは悪業の結果が野たれ死をしても地獄へ落ちても後悔しない、とにかく俺の精一杯のことをやったのだから、という諦らめの意味に他ならぬ。宮本武蔵が毅然として「我事に於て」後悔せず、という、常に「事」というものをハッキリ認識しているのとは話が余程違うのだ。尤《もっと》も、我事に於て後悔せず、という、こういう言葉を編みださずにいられなかった宮本武蔵は常にどれくらい後悔した奴やら、この言葉の裏には武蔵の後悔が呪《のろい》のように聴えてもいる。
僕は自分の愚かさを決して誇ろうとは思わないが、そこに僕の生命が燃焼し、そこに縋《すが》って僕がこうして生きている以上、愛惜なくして生きられぬ。僕の青春に「失われた美しさ」がなく、「永遠に失われざるための愚かさ」があるのみにしても、僕も亦、僕の青春を語らずにはいられない。即ち、僕の青春論は同時に淪落《りんらく》論でもあるという、そのことは読んでいただけば分るであろう。
二 淪落に就て
日本人は小役人根性が旺盛で、官僚的な権力を持たせると忽《たちま》ち威張り返ってやりきれぬ。というのは近頃八百屋だの魚屋で経験ずみのことで、万人等しく認めるところだけれども、八百屋や魚屋に縁のない僕も、別のところで甚だ之を痛感している。
電車の中へ子供づれの親父やおふくろが乗込んでくる。或いはお婆さんを連れた青年が這入ってくる。誰かしら子供やお婆さんに席を譲る。すると間もなく、その隣りの席があいた場合に、先刻、子供や婆さんに席を譲ってくれた人がそこに立っているにも拘《かかわ》らず、自分か、自分の連れをかけさせてしまう。よく見かける出来事であるが、先刻席を譲ってくれた人に腰かけて貰っている親父やおふくろを見たためしがないのである。
つまり子供だのお婆さんだのへの同情に便乗して、自分まで不当に利得を占めるやからで、こういう奴等が役人になると、役人根性を発揮し、権力に便乗して仕様のない結果になるのである。
僕は甚だ悪癖があって、電車の中へ婆さんなどがヨタヨタ乗込んでくると、席を譲らないといけないような気持になってしまうのである。けれども、ウッカリ席を譲ると、忽ち小役人根性の厭なところを見せつけられて不愉快になるし、そうかといって譲らないのも余り良い気持ではない。要するに、こういう小役人根性の奴等とは関係を持たないに限るから、電車がガラ空きでない限り、僕は腰かけないことにしている。少しくらいくたびれても、こういう厭な連中と関係を持たない方が幸福である。
去年の正月近い頃、渋谷で省線を降りて、バスに乗った。バスは大変な満員で、僕ですら喘《あえ》ぐような始末であったが、僕の隣りに学習院の制服を着用した十歳ぐらいの小学生男子が立っていた。僕の前の席が空いたので、隣りの少年にかけたまえとすすめたら、少年はお辞儀をしただけで、かけようとしなかった。又、席があいたが同じことで少年は満員の人ごみにもまれながら、自分の前の空席に目をくれようともしなかったのである。
僕はこの少年の躾《しつ》けの良さにことごとく感服した。この少年が信条を守っての毅然たる態度はただ見事で、宮本武蔵と並べてもヒケをとらない。学習院の子供達がみんなこうではあるまいけれども、すくなくとも育ちの良さというものを痛感したのである。
このような躾けの良さは、必ずしも生家の栄誉や富に関係はなかろうけれども、然しながら、生家の栄誉とか、富に対する誇りとか、顧みて怖れ怯《おび》ゆるものを持たぬ背景があるとき、凡人といえども自らかかる毅然たる態度を維持することが出来易いと僕は思う。
とはいえ、栄誉ある家門を背景にした子供達が往々生れ乍《なが》らにしてかかる躾けの良さを身につけているにしても、栄誉ある人々の大人の世界も子供の世界もおしなべて決して常に此の如きものではない。のみならず、大人の世界に於ける貴族的性格というものは、その悠々たる態度とか毅然たる外見のみで、外見と精神に何の脈絡なく、真の貴族的精神というものは、又、自ら、別個のところにあるのである。躾けよき人々は、ただ他人との一応の接触に於て、礼儀を知っているけれども、実際の利害関係が起った場合に、自己を犠牲にすることが出来るか。甘んじて人に席を譲るか。むしろ他人を傷つけて自らは何の悔いもない底の性格をつくり易いと言い得るであろう。
蓋《けだ》し、大人の世界に於て、犠牲とか互譲とかいたわりとか、そういうものが礼儀でなしに生活として育っているのは淪落の世界なのである。淪落の世界に於ては、人々は他人を傷けることの罪悪を知り、人の窮迫にあわれみと同情を持ち、口頭ではなく実際の救い方を知っており、又、行う。又、彼等は人の信頼を裏切らず、常に仁義というものによって自らの行動を律しようとするのである。
とはいえ、彼等の仁義正しいのは主として彼等同志の世界に於てだけだ。一足彼等の世界をでると、つまり淪落の世界に属さぬ人々に接触すると、彼等は必ずしも仁義を守らぬ。なぜなら淪落の人々は概《おおむ》ね性格破産者的傾向があるし、又いくらかずつ悪党で、いわば自分自身を守るために、同僚を守ったり、彼等の秩序を守ったりするけれども、外部に対してまで秩序を守る必要を認めないからでもあるし、大体が彼等の秩序と一般家庭の秩序とは違っているから、別に他意がなくとも食い違うことが出来てしまう。
乞食を三日すると忘れられない、と言うけれども、淪落の世界も、もし独立|不羈《ふき》の魂を殺すことが出来るなら、これぐらい住み易く沈淪し易いところもない。いわば、着物もいらず住宅もいらず、野生の食物にも事欠かぬ南の島のようなものだ。だから僕は淪落の世界を激しく呪い、激しく憎む。不羈独立の魂を失ったら、僕などはただ肉体の屑にすぎない。だから僕の魂は決してここに住むことを欲しないにも拘らず、どうして僕の魂は、又、この世界に憩いを感じ、ふるさとを感じるのであろうか。
今年の夏、僕は新潟へ帰って、二十年ぶりぐらいで、白山様の祭礼を見た。昔の賑いはなかったが、松下サーカスというのが掛っていた。僕は曲馬団で空中サーカスと云っているブランコからブランコへ飛び移るのが最も好きだが、松下サーカスは目星《めぼ》しい芸人が召集でも受けているのか、座頭の他には大人がなく、非常に下手で、半分ぐらい飛び移りそこねて墜落してしまう。このあとでシバタサーカスというのを見たが、この方はピエロの他は一人も墜落しなかった。一見したところ真ん中のブランコが一番大切のようだけれども、実際は両側のブランコに最も熟練した指導者が必要でこの人が出発の呼吸をはかってやるのである。シバタサーカスは真ん中のブランコが女だけれども、両側のブランコに二人の老練家がついているから、全然狂いがない。松下サーカスは真ん中のブランコに長老が乗っているが、両側が子供ばかりで指導者がないのだ。
落ちる。落ちる。そうして、又、登って行く。彼等が登場した時はただの少年少女であったが、落ちては登り、今度はという決意のために大きな眼をむいて登って行く気魄《きはく》をみると、涙が流れた。まったく、必死の気魄であった。長老を除くと、その次に老練なのは、ようやく十九か二十ぐらいの少年だったが、この少年は何か猥褻《わいせつ》な感じがして見たくないような感じだったが、この少年が最後の難芸に失敗して墜落したとき、彼が歯を喰いしばりカッと眼を見開いて何か夢中の手つきで耳あての紐《ひも》を締め直しながら再び綱にすがって登りはじめた時は、猥褻の感などはもはやどこにもなかった。神々しいぐらい、ただ一途に必死の気魄のみであったのである。その美しさに打たれた。
いつか真杉静枝さんに誘われて帝劇にレビューを見たことがあったが、レビューの女に比べると、あの中へ現れて一緒に踊る男ぐらい馬鹿に見えるものはない。あんまり低脳な馬鹿に見えて同性の手前僕がいささかクサっていると、真杉さんが僕に向いて、どうしてレビューの男達ってあんなに馬鹿に見えるのでしょうか、と呟《つぶや》いた。男には馬鹿に見えても、女の人には又別な風に見えるのだろうと考えていた僕は、真杉さんの言葉をきいて、女の人にもやっぱりそうなのかと改めて感じ入った次第である。
ところが、僕は一度だけ例外を見たのである。
それは京都であった。昭和十二年か十三年。京都の夏は暑いので、僕は毎日十銭握ってニュース映画館へ這入り、一日中休憩室で本を読んだりしていた。ニュース映画館はスケート場の附属で、ひどく涼しいのだ。あの頃は仕事に自信を失って、何度生きるのを止めにしようと思ったか知れない。新京極に京都ムーランというレビューがあって、そこへよく身体を運んだ。まったく、ただ身体を運んだだけだ。面白くはなかった。僕の見たたった一度の例外というのは、だから、京都ムーランではないのである。
京都ムーランよりももっと上手の活動小屋へ這入ったら、偶然アトラクションにレビューをやっていた。小さな活動小屋のアトラクションだから、レビューは甚だ貧弱である。女が七八人に男が一人しかいない。ところが、このたった一人の男が僕の見参した今迄の例をくつがえして、この男が舞台へでると、女の方が貧弱になってしまうのである。何か木魚《もくぎょ》みたいなものを叩いてアホダラ経みたいなものを唸ったりしていたのを思いだすが、堂々たる男の貫禄が舞台にみち、男の姿が頭抜けて大きく見えたばかりでなく、女達が男のまわりを安心しきって飛んでいる蝶のような頼りきった姿に見えて、うれしい眺めであった。まったくレビューの男にあんな頼もしい貫禄を見ようとは予期しないところであった。
こういう印象は日がたつにつれて極端なものになる。男の印象が次第に立派に大きなものになりすぎて、ほかのレビューの男達が益々馬鹿に見えて仕方がなくなるのである。あれぐらいの芸人だから浅草へ買われてこない筈はなかろうと思い、もう一度見参したいと思ったが、あいにく名前を覚えていない。会えば分る筈だから、浅草や新宿でレビューを見るたびに注意したが再会の機会がない。
ところが、この春、浅草の染太郎というウチで淀橋太郎氏と話をした。この染太郎はお好み焼屋だが、花柳地の半玉相手のお好み焼と違って、牛てんだのエビてんなどは余り焼かず、酒飲み相手にオムレツでもビフテキでも魚でも野菜でも何でも構わず焼いてしまう。近頃我々の仲間、『現代文学』の連中は会というと大概このウチでやるようなことになり、我々の大いに愛用するウチだけれども、我々のほかにはレビュー関係の人達が毎晩飲みにくる所なのである。そういうわけで淀橋太郎氏と時々顔を合せて話を交したりするようになり、ある日、京都ムーランの話がでた。そこで、雲をつかむような話で所詮分る筈がないだろうと思ったけれども、同じ頃、活動小屋のアトラクションにでた男の名前が分らないかと訊いてみた。すると僕が呆れ果てたことにはタロちゃんちょっと考えていたが、それはモリシンです、といともアッサリ答えたものである。当時京都の活動小屋へアトラクションに出たのはモリシン以外にない。小屋の場所も人数もそっくり同じだから疑う余地がないと言うのであった。一緒にいた数人のレビューの人達がみんなタロちゃんの言を裏書きした。モリシンは渾名《あだな》で、芸名はモリカワシン、多分森川信と書くのか、そういう人であった。常に流れ去り流れ来っているようなこの人々
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