入っていてみようという気になったのだ。そうして二年程這入っていた。そのとき文字を覚えたのである。
 それだけしか習わない文章だから実用以外の文章の飾りは何も知らぬ。文字通り言文一致の自叙伝で、俺のようなバカなことをしちゃ駄目だぜ、と喋るように書いてある。
 僕は『勝海舟伝』の中へ引用されている『夢酔独言』を読んだだけで、原本を見たことはないのである。なんとかして見たいと思って、友達の幕末に通じた人には全部手紙で照会したが一人として『夢酔独言』を読んだという人がいなかった。だが『勝海舟伝』に引用されている一部分を読んだだけでも、之はまことに驚くべき文献のひとつである。
 この自叙伝の行間に不思議な妖気を放ちながら休みなく流れているものが一つあり、それは実に「いつでも死ねる」という確乎不抜、大胆不敵な魂なのだった。読者のために、今、多少でも引用してお目にかけたいと思ったのだが、あいにく『勝海舟伝』がどこへ紛失したか見当らないので残念であるが、実際一頁も引用すれば直ちに納得していただける不思議な名文なのである。ただ淡々と自分の一生の無頼三昧の生活を書き綴ったものだ。
 子供の海舟にも悪党の血
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