本武蔵の言葉だということであったが、このように堂々と宣言されてみると、宮本武蔵の後悔すべからず、と、僕の後悔すべからずでは大分違う。『葉隠れ論語』によると、どんな悪い事でもいったん自分がやらかしてしまった以上は、美名をつけて誤魔化してしまえ、と諭しているそうだけれども、僕はこれほど堂々と自我主義を押通す気持はない。もっと他人というものを考えずにはいられないし、自分の弱点に就て、常に思いを致し、嘆かずにもいられぬ。こういう『葉隠れ論語』流の達人をみると、僕はまっさきに喧嘩がしたくなるのである。
いわば、僕が「後悔しない」と云うのは悪業の結果が野たれ死をしても地獄へ落ちても後悔しない、とにかく俺の精一杯のことをやったのだから、という諦らめの意味に他ならぬ。宮本武蔵が毅然として「我事に於て」後悔せず、という、常に「事」というものをハッキリ認識しているのとは話が余程違うのだ。尤《もっと》も、我事に於て後悔せず、という、こういう言葉を編みださずにいられなかった宮本武蔵は常にどれくらい後悔した奴やら、この言葉の裏には武蔵の後悔が呪《のろい》のように聴えてもいる。
僕は自分の愚かさを決して誇ろう
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