男の人たちも登美子さんと同じように私の親切を浮気のせいだと心得て、たちまち狎《な》れて口説いたり這いこんだりする。特別、避難所の国民学校では屈することなくしっきりなしの猛襲にうんざりして、こんな人たちとこんな風に都を落ちて見知らぬ土地へ流れるなんて、私はとても、甘えすぎたクズレが我慢のできない気持でもあった。
だから私は専務を見るとホッと安堵、私はたちまち心を変えて別荘への伝言をオソヨさんにたのみ、私は専務にひきとられた。
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久須美(専務)は五十六であった。
さして痩せてるわけでもないが、六尺もあるから針金のようにみえる。獅子鼻で、ドングリ眼《まなこ》で、醜男そのものだけれども、私はしかし、どういうせいか、それが初めから気にかからなかった。まじりけのない白髪が私にはむしろ可愛く見え、ドングリ眼も獅子鼻も愛嬌があって私はほんとに嘘や虚勢ではなく可愛く見える。私は少女のころから男の年齢が苦にならず、女学生の時も五十をすぎた教頭先生が好きでたまらなかった。この人も美しい人ではなかった。
終戦後、久須美は私に家をもたせてくれたが、彼はまったく私を可愛がってくれた。そしてあるとき彼自身私に向って、君は今後何人の恋人にめぐりあうか知れないが、私ぐらい君を可愛がる男にめぐりあうことはないだろうな、といった。
私もまったくそうだと思った。久須美は老人で醜男だから、私は他日、彼よりも好きな人ができるかも知れないけれども、しかしどのような恋人も彼ほど私を可愛がるはずはない。
彼が私を可愛がるとは、たとえば私が浮気をすると出刃庖丁かなにか振り廻して千里を遠しとせず復縁をせまって追いまわすという情熱についてのことではなくて、彼は私が浮気をしても許してくれる人であった。
彼は私の本性を見ぬいて、その本性のすべてを受けいれ、満足させてくれようとする。彼が私に敢て束縛を加えることは、浮気だけはなるべくしてくれるな、浮気するなら私には分らぬようにしてくれ、というぐらいのことだけであった。
だいたい私みたいなスローモーションの人間は、とても世間並の時間の速力というものについて行けない。けれども私は人と時間の約束したり一つの義務を負わされると、とても脅迫観念に苦しめられるけれども、どうしてもスローモーションだからダメで、会社へでていたころは二時間三時間、五時間六時間おくれる。終業の三十分前ぐらいに出勤して、今ごろ出てくるなら休みなさいなどと皮肉られても、私だってそんな出勤が無意味と知りながら出てゆくからには、どんなに脅迫観念に苦しめられていたか、久須美だけはそれを察して、専務が甘やかすから、などと口うるさくても、彼は私に一言の非難もいわず、常にむしろいたわってくれた。
私は好きな人と、たとえば久須美と、旅行の約束をして、汽車の時間を二時間三時間おくれてしまう。たとえば私が出かけようとして身支度ととのえているところへ、知りあいの隠居ジイサンなどがやってきて、ほらごらんよ、うちの孟宗《もうそう》でこんなタバコ入れをこしらえたから、などと見せにきて一時間二時間話しこむ。私は嫌いな人にでも今日は用があるから帰ってなどとはいえないたちで、まして仲よしの隠居ジイサンだから、帰って、とはとてもいえない。私は私の意志によってどっちの好きな人を犠牲にすることもできないから、眼前に在る力、現実の力というものの方にひかれて一方がおろそかになるまでのことで、これは私にとっては不可抗力で、どうすることもできないのだもの。
久須美はそういう私をいたわってくれた。だから私たちの旅行はトンチンカンで、目的地へつかないうちに、この汽車はここまでだから降りてくれという、つまり汽車がなくなったのだ、仕方なしに思いがけないところで降されて、しかし、そのために叱られるということのない私はそのトンチンカンが新鮮で、パノラマを見ているような楽しい思いがけない旅行になる。
ほんとうに醜い人間などいるはずのないもので、美というものは常に停止して在るのじゃなくて、どんなものでも、ある瞬間に美しかったり、醜かったりするものだ。私にとって、寝室の久須美は常に可愛く、美しかった。
私は若い女だもの、美しい青年と腕を組んで並木路を歩いたり、美青年に荷物をもってもらったり自動車をよびに走ってもらったり、チヤホヤかしずかれて銀座など買物に歩いて、人波を追いつ追われつ、人波のあいまから目と目を見合せて笑いあう。
久須美にはもうそんな若い目はなくなっている。そして、そんな仇《あだ》な目のかわりには、ゴホンゴホンという咳などしかなくなっているのである。
しかし、そんな若い目は、男と女のつながりの上では、たかが風景にすぎないではないか。並木路の散歩、楽しい買物、映画見物、喫茶店、
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