彼は、もはや自宅ではなしに私たちの海岸の旅館へ泊りそこから東京へ通っているのだから。人々はそのような私たちをどんな風にいうだろう? 私が久須美をだましたというだろうか。恋に盲《めし》いた年寄のあさましい執念狂気を思い描くことだろう。
私はしかしそんなことはなんとも思っていない。息子や娘にとって、親なんか、なんでもないではないか。そして親が恋をしたって、それはやむを得ぬこと、なんでもないことだと私は思う。久須美もそんなことは気にしていなかった。私は知っている。彼は恋に盲いる先に孤独に盲いている。だから恋に盲いることなど、できやしない。彼は年老い涙腺までネジがゆるんで、よく涙をこぼす。笑っても涙をこぼす。しかし彼がある感動によって涙をこぼすとき、彼は私のためでなしに、人間の定めのために涙をこぼす。彼のような魂の孤独な人は人生を観念の上で見ており、自分の今いる現実すらも、観念的にしか把握できず、私を愛しながらも、私をでなく、何か最愛の女、そういう観念を立てて、それから私を現実をとらえているようなものであった。
私はだから知っている。彼の魂は孤独だから、彼の魂は冷酷なのだ。彼はもし私よりも可愛いい愛人ができれば、私を冷めたく忘れるだろう。そういう魂は、しかし、人を冷めたく見放す先に自分が見放されているもので、彼は地獄の罰を受けている、ただ彼は地獄を憎まず、地獄を愛しているから、彼は私の幸福のために、私を人と結婚させ、自分が孤独に立去ることをそれもよかろう元々人間はそんなものだというぐらいに考えられる鬼であった。
しかし別にも一つの理由があるはずであった。彼ほど孤独で冷めたく我人《われひと》ともに突放している人間でも、私に逃げられることが不安なのだ。そして私が他日私の意志で逃げることを怖れるあまり、それぐらいなら自分の意志で私を逃がした方が満足していられると考える。鬼は自分勝手、わがまま千万、途方もない甘ちゃんだった。そしてそんなことができるのも、彼は私を、現実をほんとに愛しているのじゃなくて、彼の観念の生活の中の私は、ていのよいオモチャの一つであるにすぎないせいでもあった。
田代さんはこの旅館へきてノブ子さんと襖を距てて生活して、いまだに目的を達することができずにいた。田代さんは三日目ぐらいに自宅へ泊る習慣で、その翌日は、きのうは私の奥さんを可愛がってやってきました
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