を交換しあったり、お金もやったりしていたようだが、温泉だの待合へ泊るようになり、しかし処女はまもっているのだと得意であった。そういう時には私に連絡して私の家へ泊ったように手配しておく。それを私達はアリバイとよんでいたが、私もしかし登美子さんに私のアリバイをたのむことにしていた。
 私は登美子さんにアリバイをたのんだけれども、誰とどこで何をしたということは一切語らなかった。登美子さんは根掘り葉掘り訊問する癖があったが、私は、なんでもないのよ、とか、別にいいことじゃないのよ、などと取りあわないから、性本来陰険そのものだとか、秘密癖で腹黒いとか、あなたは純情なんて何もなくてただ浮気っぽいから公明正大に人前にいったり振舞ったりできないのでしょう、ときめつける。
 私はしかしそんなことは人には何もいいたくないのだ。つまらないのだ、恋愛なんて。ただそれだけ。
 登美子さんは女学校を卒業すると、かねてあこがれの職業婦人で、事務員になったが、堅苦しくて窮屈なので、百貨店の売子になった。私は別に働きたくはなかったけれども、母と一緒に家にいるのが厭なので、勤めに出たくて仕方がなかった。しかし許すどころの段ではなく、そんなことをいいだすと、そろそろ虫がつきだしたとますます監視厳重に閉じこめられるばかり、そのうえ母は焦って、さる土木建築の親分のオメカケにしようとした。この親分は一方ではさる歓楽地帯を縄張りにした親分でもあり、斬ったはったの世界では名の知れた大親分だということだが、もう隠居前で六十を一つか二つ越していた。
 私は賑やかなことが好きなタチだから、喧嘩の見物も嫌いではなかったけれども、根が至って気のきかない、スローモーション、全然モーローたる立居振舞トンマそのものの性質で、敏活また歯ぎれのよい仁義の世界では全然モーションが合わないのだもの、話にならない。私は別にオメカケが厭だとは思っていなかったが、自由を束縛されることが厭なので、豊かな生活をさせてくれて一定の義務以外には好き放題にさせてくれるなら、八十のオジイサンのオメカケだって厭だとはいわない。親分の名を汚したの何だのと短刀をつきつけられ小指をつめたり、ドスで忠誠を誓わされ自由を束縛されては堪えられない。
 私は母に厭だといったが、もう母親が承諾した以上、今更厭だといえば、命が危い。お前は母を殺していいのかいといって脅迫する。
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