それらのことは、恋人同士の特権のように思われがちだけれども、私はあべこべに、浮気心、仇心の一興、また、一夢というようなものにすぎないと考える。
私はむかし六人の出征する青年に寝室でやさしくしてあげたが、また、終戦後も、久須美の知らないうちに、何人かの青年たちと寝室で遊んだこともある。けれどもそれもただ男と女の風景であるにすぎず、いわば肉体の風景であるにすぎない。
しかし久須美に関する限り私はもはや風景ではなかった。
私が一人ぽっちねころんで、本を読んでいたり、物思いにふけっていたり、うとうとしているとき久須美が訪れてくる。どのような面白い読書でも、静かな物思いでも、安らかな眠りでも、私はそれを捨てたことを露すらも悔みはしない。私はただニッコリし、彼をむかえ、彼の愛撫をもとめ、彼を愛撫するために、二本の腕をさしだして、彼をまつ。私はその天然自然の媚態だけが全部であった。
このような媚態は、久須美が私に与えたものであった。私はその時まで、こんな媚態を知らなかったのに、久須美にだけ天然自然にこうするようになったので、つまり彼が一人の私を創造し、一つの媚態を創作したようなものだった。
それは一つの感謝のまごころであった。このまごころは心の形でなしに、媚態の姿で表われる。私はどんなに快い眠りのさなかでもふと目ざめて久須美を見ると、モーローたる嗜眠状態のなかでニッコリ笑い両腕をのばして彼を待ち彼の首ににじりよる。
私は病気の時ですら、そうだった。私は激痛のさなかに彼を迎え、私は笑顔と愛撫、あらゆる媚態を失うことはなかった。長い愛撫の時間がすぎて久須美が眠りについたとき、私は再び激痛をとりもどした。それはもはや堪えがたいものであったが、私はしかし愛撫の時間は一言の苦痛も訴えず最もかすかな苦悶の翳によって私の笑顔をくもらせるようなこともなかった。それは私の精神力というものではなく、盲目的な媚態がその激痛をすら薄めているという性質のものであった。七転八倒というけれども、私は至極の苦痛のためにある一つの不自然にゆがめられた姿勢から、いかなる身動きもできなくなり、生れて始めて呻く声をもらした。久須美は目をさまし、はじめは信じられない様子であったが、慌てて医師を迎えたときは手おくれで、なぜなら私はその苦痛にもかかわらず彼が自然に目をさますまで彼を起さなかったから、すでに盲腸はう
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