、私の外出がちょっと長過ぎても、誰とどこで何をしたか、根掘り葉掘り訊問する。知らない男からラヴレターを投げこまれたりして、私がそれを母に見せると、まるで私が現に恋でもしているように血相を変えてしまって、それからようやく落着きを取りもどして、男の恐しさ、甘言手管の種々相について説明する。その真剣さといったらない。
 私はしかし母を愛していなかった。品物として愛されるのは迷惑千万なものである。人々は私が母に可愛がられて幸福だというけれども、私は幸福だと思ったことはなかった。
 私の母は見栄坊だから、私の弟が航空兵を志願したとき、内心はとめたくて仕方がないくせに賛成した。知人や近隣に吹聴する方がもっと心にかなっていたからである。夜更けに私がもう眠ったものだと心得て起き上って神棚を伏し拝んで、雪夫や、かんにんしておくれなどとさめざめと泣いたりしているくせに、翌日の昼はゴムマリがはずむような勢いでどこかのオバさんたちに倅《せがれ》の凜々《りり》しさを吹聴して、あることないこと喋りまくっているのである。
 私は徴用を受けたとき、うんざり悲観したけれども、母が私以上に慌てふためくので、馬鹿馬鹿しくて、母の気持が厭らしくて仕方がなかった。
 私は遊ぶことが好きで、貧乏がきらいであった。これだけは母と私は同じ思想であった。母自身がオメカケであるが、旦那の外にも男が二、三人おり、役者だの、何かのお師匠さんなどと遊ぶこともあるようだった。私にすすめてお金持の、気分の鷹揚な、そしてなるべく年寄のオメカケがよかろうという。お前のようなゼイタクな遊び好きは窮屈な女房などになれないよというのだが、たって女房になりたけりゃ、華族の長男か、千万円以上の財産家の長男の奥方になれという。特に長男でなければならぬというのである。名誉かお金か、どっちか自由にならなけりゃ、窮屈な女房づとめの意味がないというのだ。浮草稼業の政治家だの芸術家はいくら有名でもいつ没落するかも知れないし貧乏で浮気性で高慢で手に負えないシロモノだという。会社員などは軽蔑しきっており、要するに私がお金のない青年と恋をするのが母の最大の心痛事であり恐怖であった。
 私は女学校の四年の時に同級生で大きな問屋の娘の登美子さんに誘われてゴルフをやりはじめた。ちょっと映画を見てきても渋い顔をする母が私の願いを許したのは、ゴルフとは華族とか大金満家
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