をきかせていたアンゴ氏は最も優秀な手腕家で、モダン日本の木村正二が京都の僕を訪ねての話に、銀座のアンゴ氏は当時銀座有数の美貌の女給とネンゴロになって岡焼き連をヘイゲイしていた由で、こういう有能なアンゴ氏なら、いっそ本家を譲り渡して、天下に威名をあげて貰いたいものだと考えたほどであった。
 終戦後は、文学雑誌がやたらと文士の写真をのせることが流行しているから、文士のニセモノが出にくゝなった。こう、安心してはいけないのである。顔がレッテルの映画俳優にまで、ニセモノがいるそうだから、文学雑誌に写真ぐらいでたって、ニセモノ氏は平然たるものなのである。
 西荻窪のアンゴ氏は、終戦後初登場のニューフェイスで、私も、いさゝか慌てた。
 手紙が豪勢である。女給一同より、とある。よほど大きな店にちがいない。中央線沿線は文士族の群生|聚楽《しゅうらく》地帯で、僕は行ったことがないが、ピノチオなどゝいう文士御専用の喫茶室があったことなど、十何年前から耳にしている。新円景気などゝ云ったって、どうせ文士の行くところはカストリ屋に羽の生えたようなところに極っており、女給一同より、というような豪勢なところは、ホンモノ共は立寄ることができないのである。だから、西荻のアンゴ氏は、文士族群生聚楽地帯をカッポして、正体を見破られる心配がないのである。
 西荻のアンゴ氏が、いかなる放れ業をやらかしているのか、いささか心配であった。僕の知らない子供などが生れて、印税を要求され、余の死するや子孫が数十人名乗りでたなどゝあっては、まア華やかで結構ではあるが、ネザメのよろしい話ではない。
 カラダには熱があり、中耳炎気味で耳が痛くて困っている時であったが、それだけに、仕事もやりたくない状態だったから、西荻へ出向いて、アカシを立てることにした。
 一人では、とても行けないから、大井広介に助太刀をもとめて、代々木へ訪ねたら、彼はイトコが立候補して、選挙応援に九州へ出向いて不在であった。郡山千冬なら睨みがきくだろうと電話をかけてもらったが、これも不在。銀座なら、雑誌社、新聞社がたくさんあって、豪傑の三人四人たちまちかり集めることができるが、新宿には、その当てがない。一人、居た。紀伊国屋の田辺茂一先生。これは、ふとっていて、睨みがききそうである。喜び勇んで紀伊国屋へ駈けつければ、社長は、今しがたお帰りになりました、という
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