部的なことだけしか語らないが、僕の応接間では、彼らは自らの意志によって来ており、主として内部的なことを語ろうと努力していることの相違である。
だから彼らは徳義上の内省については普通人よりも考えあぐね、発作の時期でなければ、むしろ行い正しく、慎しんでいるのが普通であり、精神病院の看護婦などが、患者に親切で、その仕事に愛着をもつようになるのも、患者らの本性の正直さや慎ましさが自然にそうさせるのではないかと思った。
一般に、犯罪者と精神鑑定とは離るべからざるように見られているが、テンカンの場合とか、異状発作の場合とかはとにかくとして、たとえば小平の場合などは、これを精神異状と云うのは奇妙であり、明らかに、「犯罪者」という別の定義があるべきではないかと思った。一般に、精神病の患者は、自らに科するに酷であり、むしろ過度に抑圧的であって、小平のような平凡さ、動物的な当然さはないものである。精神病者が最も多く闘っているものは、むしろ自らの動物性に対してであり、僕が小平を精神異状ではなく、むしろ平凡であり、単に犯罪者であると定義する所以はこゝにあるのである。精神病院の患者は自らに科するに酷であり、むしろ一般人よりも犯罪に縁が遠い、と僕は思った。
精神病というものは、家庭とか、就職先とか、それらのマサツがなければ生じないもので、又、自らに課する戒律がなければ生じないものである。だから、責任ある地位につき、自らに課するに厳なる社会人は概ね精神病者と断定してよろしく、小平のようなのが、むしろ普通人の形態に近似しているのである。
僕が見た外来患者のうちで、僕の応接間で見かけることのない唯一のタイプの患者は、四十七の女であった。服装から判断して、農家の主婦であったかも知れない。彼女は膝と足を紐と手拭《てぬぐい》様のもので二ヶ所縛られ、その夫と思われる者、又、も一人の肉親の一人と思われる青年の二人に抱かれて外来室へ運びこまれてきた。
彼女は幻視を見ているのである。右に天皇が見え、左に観音が見え、彼女はたゞ拝みつゞけているだけで、医者の問いに返答せず、返答するのは夫と思われる男であり、その度に、彼女は怒って、夫を手で振りはらうようにした。
こういう患者は僕の応接間へ現れたことはないが、世間にはかなり多いに相違なく、こういう患者をめぐって、ある種の宗教が発生しているに相違ない。それらの教祖は別として、その信徒は何者なのだろう。何者でもなく、人間なのだろうか。いったい、精神病者とは、何者であるか。
僕のいた東大神経科は、重症者を置かない。置く設備がないからである。廊下の出入口の一ヶ所に鍵がかかるだけで、個々の病室には鍵がかかっていない。窓に鉄の格子がはまって、脱出は不可能であるが、窓は普通の洋室の位置にあり、兇暴な患者は他の室へ乱入することもできるし、窓ガラスを割ることもできる。
僕のいた部屋は、A級戦犯のO氏が発病直後送られた部屋で、発病直後は兇暴でこのガラス部屋は不向きであったから、松沢へ送られたそうである。東大の外来室では、千谷さんの見わけによって、重症であり、兇暴であると判断せられたものは、松沢へ送られる習慣であり、従って、僕の病棟では、脳梅毒患者をのぞいて、ひどい患者はいなかった。
分裂病は二十歳前後に発病し、周期的にくりかえして根治することが先ずないので、入院患者も、三度目の入院とか六度目とかという古強者《ふるつわもの》が多い。然し、分裂病は智能を犯されることがないから、仕事に従事して才能ある限り、単に変り者と世間に目せられているだけで、終生精神病院のヤッカイになることなく、世をすごす人々が多くあるに相違ない。
テンカンも、今では、それを一生欠かさず服用しつゞけていれば、発作を起さずにすむ薬があるそうである。ひどいのは脳梅毒だ。これは智能を犯される。つまり痴呆状態となる。肉体の条件がよければマラリヤ療法でくいとめることができるが、僕の居たとき病棟の廊下をうろついていた四十ぐらいの女の脳梅毒患者は、もう肉体力がなくて、マラリヤ療法を施し得ず、仕方なしに、ペニシリンを打ったり、人工栄養などで、ようやく生きて、痴呆状態で廊下をうろついている始末であった。こういう患者は結局狂死する以外に仕方がないということであった。
問題は分裂病であり、又、鬱病、躁鬱病などの患者である。僕のいた病棟は重症者がいないのだから、病状について僕は良く知らないし、特に僕は一人だけの別室にいたから、廊下や便所ですれ違う以外に、他の患者とは特別の接触がなかった。
僕の幻聴と絶望の苦痛にみちた発病当時、千谷さんが診察に来て下さって、すぐ入院させたいが、あいにく一人の部屋がふさがっており、今すぐ入院することの出来るのは五人の合部屋だという話であった。
そのとき僕は精神病者というものを兇暴なものだと幻想しており、何よりも、僕自身、歩行も不可能で、防禦や抵抗の手段が失われているのだから、五人の合宿ということに、病的な恐怖をいだいた。
そのとき石川淳が見舞いに駈けつけてくれて、合い部屋だっていゝじゃないか。たゞ眠るのだから、他人の存在は問題ではない。一時間、一分でも早く入院しろ。昔、吉原に割り部屋というものがあったし、汽車の寝台も割り部屋みたいなものであり、同じ部屋で寝ている奴が殺人犯だか強盗だか見当がつかなかった筈だが、それを怖れたこともなかったし、問題が起ったということもない。割り部屋だと思えば、なんでもないさ、と慰め、すすめてくれた。
今は割り部屋がなくなったし、割り部屋があったら、いつ洋服など身ぐるみ盗んでドロンされるか見当もつかず、それだけ世間が平和じゃないんだ、と石川淳が、彼らしい述懐によって世相をガイタンしていたのを妙にハッキリ記憶している。
ところが東大の神経科へ乗りつけたら、妙な偶然で、まだ退院には間があると思われていた患者が退院し、僕は一人だけの部屋へ入院することができた。衰えはてた僕は、その時ひどく安心したが、治療が終って、健康をとり戻して後は、むしろ五人の合部屋へ入院しなかったことを残念だと思った。僕は彼らの生態をこまかく観察する条件を失ってしまったのである。
然し、廊下や洗面所や便所で、狂躁にみちており、無礼であり、センスを失い、ガサツな人々はむしろ概ね附き添いたちであり、患者は静かで、慎んでいるのが普通であった。
僕の入院が知れ渡ると、新聞記者が写真班同伴で十何組も乗りつけて、千谷さんは、撃退するに手こずられた由であった。すると、僕が麻薬中毒だという説がとび、警視庁の三人の麻薬係が現れ、千谷さんはカルテを見せて説得するのに二時間もかかったとこぼしておられた。
すると今度は、僕が精神病院の三階から飛び降り自殺をしたというデマで、又、十何組という写真班同伴の新聞記者に病院が大迷惑をかけられたが、その時、某新聞の記事に曰く、病院側が僕と記者との面接を拒否したことから次第にデマが生じた、と書いていた。
こういう記事を書く社会部記者の教養を疑わざるを得ない。精神病患者の発病当時の苦痛というものは、他人と面会などのできる性質のものではないのである。数日間食事をとることもできず(肉体的にその機能を失うのである)歩行も不可能であり、第一、喋ることもできない。幻聴と絶望に苦しむばかりで、ともすれば、発作的に自殺するか、人を殺すか、まことに際どい神経の極度の不安定の状態である。この状態では、特に親密な人々によっては、ともかく慰められ、力づけられ、反対に、面識なく、好意を持たない人間に対しては、面会は不可能であり、会えば、何をやるか分らず、病状を悪化させるばかりである。医者がきびしく新聞記者の面会を拒否したのは当然であり、そのことについて認識のない新聞記者の教養は奇怪と云う以外に言葉がない。
僕はこういう新聞記者の在り方、又、新聞の在り方の方が、常規を逸し、精神病的ではないが、犯罪的なのだ、と判断せざるを得ない。つまり、小平的なのである。そして、アゲクは、戦争的なのである。精神病者というものは、こんなに無礼であったり、動物的であったりはしないものなのである。そして、先程も云う通り、自らの動物性と最も闘い、あるいは闘い破れた者が精神病者であるかも知れないが、自らに課する戒律と他人に対する尊敬を持つものが、精神病者の一特質であることは忘るべきではない。
昨年、帝銀容疑者の平沢氏が東京へ連行された時、新聞は、容疑者にすぎないものを、発表したのは不徳義である、と云って、当局を責めた。然し、もし、警視庁がこれを極秘裡に行い、ひそかに平沢氏を小樽から東京へ連行した場合、これを新聞記者が探知したならば、特ダネとして、全紙面をうめるぐらいに書き立てた筈である。現に、平沢氏の前に、水戸の某氏がひそかに取り調べをうけているとき、これを書き立てたのは新聞であり、当局は秘密にしていたのである。
発表すれば、不徳義也と云い、しかも自らは、ひそかにスクープして発表し、それを得々としている。自ら背徳を行いつゝ、それを他人にのみ責めて、内省することを知らない。精神病者には、こういう内省のなさ、他人への無礼に対して自ら責めることを忘れている者は居ない。だから、もし、精神病患者が異常なものであるとすれば、精神病院の外の世界というものは奇怪なものであり、精神病的ではないが、犯罪的なものなのである。
精神病者は自らの動物と闘い破れた敗残者であるかも知れないが、一般人は、自らの動物と闘い争うことを忘れ、恬《てん》として内省なく、動物の上に安住している人々である。
小林秀雄も言っていたが、ゴッホの方がよほど健全であり、精神病院の外の世界が、よほど奇怪なのではないか、と。これはゴッホ自身の説であるそうだ。僕も亦、そう思う。精神病院の外側の世界は、背徳的、犯罪的であり、奇怪千万である。
人間はいかにより良く、より正しく生きなければならないものであるか、そういう最も激しい祈念は、精神病院の中にあるようである。もしくは、より良く、より正しく生きようとする人々は精神病的であり、そうでない人々は、精神病的ではないが、犯罪者的なのである。[#地付き](退院の翌日)
底本:「坂口安吾全集 07」筑摩書房
1998(平成10)年8月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文藝春秋 第二七巻第六号」
1949(昭和24)年6月1日発行
初出:「文藝春秋 第二七巻第六号」
1949(昭和24)年6月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:砂場清隆
2008年4月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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