、こういうことにならないように注意すべきだと思う。そんなことを云いながら、私は二ヶ月のうちに某雑誌社と手を切るために、五十六万円の借金を支払うため、書いて書きまくる必要にせまられており、どうも、二三ヶ月後に、又、精神病院へ逆戻りせざるを得ないのではないかという不安にも襲われている。僕は然し、それを克服するだけの意志力を持たなければならないということを信じており、必ず闘い勝つ、勝たねばならぬ、とも信じているのである。多分、僕は、勝つだろう。
話がワキ道へそれてしまったが、僕が東大へ入院し、僕のうける療法が、持続睡眠と云って一ヶ月昏睡させるものだ、ときいた時に、僕が思いだしたのは、フロイドであった。つまり、昏睡させておいて、医者が暗示を与え、抑圧された意識を解放しよう、とするのではないかと疑ったのである。
それは、ダメだ、ダメです、僕は幻聴だらけの眠れない夜、心に叫びつづけていた。僕は、精神の最も衰弱し、最も不安定の時期である故に、フロイドの方法が、療法として実は不可能だということを悟ったのである。
つまり、最も精神の衰弱し不安定となっている僕は、何の暗示をうける必要もなく、あらゆる抑圧が、殆ど不可能になりつゝあり、そして、抑圧が不可能になりつゝあるということが、僕を最も苦しめ、病状を悪化させてもいるのであった。つまり患者としての僕がその時最も欲しているものは、たゞ一つ、抑圧、それに外ならなかったのだ。抑圧を解放してはならないのだ。あらゆる抑圧を解放すれば、人間がどうなるか、分りきっている。色と慾。たゞ動物。それだけにきまっているのだ。
フロイドの方法は、理論的に、構成に巧みであるが、あそこから、決して実際の治療はでゝこない。
僕個人の場合であるが、患者としての僕が痛切に欲しているものは、たゞ単に健全なる精神などという漠然たるものではなく自我の理想的な構成ということであった。
大体、健全なる精神とは、何のことだろう。どこに目安があるのだろう。ある限度の問題かも知れないが、そんな限度は、患者としての僕にとって、問題ではなかった。
僕はその時、思った。精神病の原因の一つは、抑圧された意識などのためよりも、むしろ多く、自我の理想的な構成、その激烈な祈念に対する現実のアムバランスから起るのではないか、と。
僕が、恢復後、精神病者を観察して得た結論も、概して、そ
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