な」
「僕はまッすぐ銀座へでるんじゃないんですよ。これから挿絵の先生のところをまわって、それからです」
 丘を降りる途中、書生の木曾英介が荷物を自転車につんで登ってくるのに出会った。マーケットへ買い出しにでたのである。
「お居間に安川さんが見えてらッしゃるんですから、奥へ行かない方がよくッてよ」
 アケミは木曾に注意を与えた。そして文作を駅まで送ってくれたのである。
 文作が挿絵の先生をまわって、原稿をとどけ、できている挿絵を受け取って社についたのが三時ちょッと前だった。とたんに社会部の記者が三四人立ちふさがって、
「今ごろまでどこをうろついてたんだ?」
「よせやい。小説原稿と挿絵をまわって、休むヒマもありやしない」
「お前まさか神田兵太郎を殺しやしまいな」
「おどかすない」
「神田兵太郎が自殺したんだ。しかし、他殺の疑いもあるらしい。とにかく、貴公、ちょッと、姿を消してくれ」
「なぜ?」
「こッちの用がすむまで他社に貴公を渡したくないからさ。神田兵太郎が死んだのは、貴公があのウチにいた前後なんだ。もしも他殺なら、貴公は容疑者のナンバーワンだよ」
「オレのいたのは正午だよ。神田先生はシャワーを浴びてピンピンしてたよ」
「待て、待て。白状するなら、こっちの部屋で……」
 と、社会部の荒くれどもは犯人の如くに彼をとりかこんで、グイグイ別室へ押しこんでしまった。

          ★

 アケミは文作を駅まで送ってから、ぶらぶら散歩して、農家から生みたての卵を買い、そこで二十分ぐらい話しこんだ。散歩から戻ってきたのが一時ごろであった。
 書生の木曾は台所の前でマキ割りをしていた。アケミは家の中へはいる前にマキ割りの音をたどって木曾のところへやってきて、
「安川さんは?」
「さア?」
「まだお帰りにならないのかしら?」
「僕はズッとここでマキ割りしてたもんで、家の中のことは知らないのですが……」
 なるほど相当量のマキが割られて散らばっていた。
 アケミは屋内に入り、思いきって居間の扉をノックしてみた。屋内一面に死んだように音がないので、イヤな予感がしていたのだが、意外にも居間の中から久子の澄んだ返事がきこえた。
「はい。どうぞ」
「アラ。安川さん、お一人?」
「ええ」
「先生は?」
「どうなさったんでしょうか。今までお待ちしてたんですけど……」
「原稿書いてらッしゃる
前へ 次へ
全15ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング