だから、何が何だか分りやしねえや」
神田邸のベルを鳴らすと、毛利アケミさんが現れて、大広間へ通してくれた。この洋館はバカバカしいほど凝った大広間が一ツあって、それに小部屋がいくつか附属しているだけである。当年六十歳の神田兵太郎は数年来|唐手《からて》に凝っている。仕事の合間にこの大広間で唐手の型をやって小一時間も暴れまわったあとで、入浴する。新聞原稿を書き終ったあとでそれをやることが多いので、文作も何度か神田の暴れているのを見たことがある。六十とは思われない若々しい身体で、夕立を浴びてるような汗をかき、目がくらんでフラフラしながらも「エイッ! ヤッ!」とやっている。それから浴室へとびこむのである。
「唐手のお稽古がいま終ったところ。入浴中よ」
アケミはこう説明して、広間の隅へ片寄せたイスの一ツに彼を案内した。
この毛利アケミさんなる人物は元来素人ストリッパーである。女子大学の演芸会でストリップを演じて同性を悩殺して以来肉体に自信を持ち、折あればハダカになって人間をウットリさせたいという野心をいだくに至った。やがて有名な画家を選んでモデルになる遊びを覚え、最高の女体鑑賞家と申すべき大家どもをナデ斬りにして溜飲を下げていたのであるが、そのうちに文士の神田兵太郎と同棲するに至った。
不能者だの男色だのと噂のあった神田がアケミさんと同棲するに至ったから、ジャーナリストも一時は迷ったものである。しかし、結局、神田が不能者であり、男色であるために、女体の最も純粋な鑑賞家なのかも知れない。そしてアケミさんとはそういう結びつきではないかというモットモらしい結論になっていたのである。
いつも時間がきまっているから、アケミさんはかねて用意しておいたサンドウィッチとコーヒーを持参する。
「原稿できてますか」
「ええ、できてます。ここにあるわ」
マントルピースの上から原稿をとって彼に渡した。
「ありがたい。いつもキチョウメンにできていて、助かりますよ」
こういう大家になると時間はむしろキチョウメンで、いつも午前中にチャンと一回分できあがっている。ついでに四五日ぶんまとめてやってくれると助かるのだが、毎日キチョウメンにできてるだけでも上の部でゼイタクは云えない。
「オーイ! タオル!」
神田が浴室で怒鳴っている。ハーイ、とアケミさんが浴室へ駈けこんでいった。文作が来たときから
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