くらか出世したかと思って、あなた、私。おお、イヤだ。以前なら、いま伊東の帰りだよ、といったところを、いま伊東の別荘からの帰り路なんですよ。なんてイヤらしい」
「バカな。へりくだっているんじゃないか」
「ウソですよ。へりくだると見せて威張るのよ。悪質の成金趣味よ。ねえ、克子」
「そうよ。無学文盲の悪趣味よ。裏長屋の貴族趣味ね」
「バカな。お前らのハラワタが汚いから、汚い見方しか出来ないのだ。だいいち、野口君は、伊東の別荘などと言いはせん。いつも、ただ、伊東の、という。つとめて成金らしい口吻をさけているのが分らんか」
「つまんない。裏長屋のザアマス趣味をひッくりかえしただけよ」
女子大生の克子は投げすてるように言う。
「伊東の別荘と言いたいのを、伊東で切らなきゃならないからイヤらしいのよ。使用人に届けさしゃいいものを、今、帰り路ですなんて、恩にもきせたいし、伊東の別荘も言いたいからよ。わざと、へりくだることないじゃないの。いつもタマゴは三ツなのね。不自然ね。ムリして数を合せてさ。一から十までムリしてるのよ」
「生意気な。なにを言うか。このイワシをみろ。七匹じゃないか。ムリして数を合せてはおらん。お前らのゲスのカングリ、汚らしいぞ」
克子は皿の上の焼いたイワシに白い眼をむけて、
「七匹なんて、変ね」
と、薄笑いをうかべる。イワシを突きこわして、ゆっくり食べながら、
「九匹じゃ、惜しいのね。六匹に一匹、足したツモリかしら。九匹から二匹、ひいたのかしら」
亮作はつかみかかりたいほど怒りの衝動にかられて、
「私の問いかけたことにハッキリ答えろ。ムリして数を合せているか。これ!」
「それは、たぶん」
克子の顔から血の気がひいて、白い薄笑いをはりつけたようになるのであった。
「忠誠と柔順に対する特別の恩賞ね。一匹のイワシのために老いの目に涙をうかべて喜ぶ人がいたのね。昔の同僚が町工場の小成金に出世して、拾いあげてくれたの。実直でグズなところを見こまれて、会計をあずかる重要なポストを与えられたのよ。けれども、平社員で、サラリーは安いのよ。その代り、社長は、あなた、あります、とテイネイな敬語で話しかけて、あたたかく遇してくれるのよ。そして六匹のほかに、余分に一匹のイワシも与えるの。すると平社員は老いの目に涙をたたえて、日曜の夜の社長の別荘帰りをお待ちするのよ」
女子大学生の
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