る人が富裕な人と結婚し、わがままな生涯を送っていたが、ツレアイも死に、アトトリもなかった。このわがままな年寄が、克子を養女の筆頭に選んだのである。
信子はひとり児を養女にだすことに、反対の理由を知らなかった。梅村亮作の家名の如きは、絶えることが世のため人のためである。その家名には恥と貧窮と、悲しみと嘆きがつきまとっているだけだ。咒《のろ》いによって充たされているだけである。梅村亮作の恥辱まみれの一生は、彼ひとりでしめくくるのが当然であった。
大伯母からは克子の教育費が送られ、克子は女子大学へ進んだ。亮作が世間からうけた冷遇も、大伯母のそれに比べれば、あまいものであった。大伯母の彼に対する感情は憎悪であった。全人格を無視し、否定し、刺殺していた。
克子は休暇のたびに、母と一しょに大伯母のもとで暮すようになったが、亮作は門前にたたずむことも許されていなかった。そして克子の休暇中は、彼は自炊して出勤しなければならなかったが、恥辱という苦痛がなければ、一人暮しの不自由も苦しいというものではなかった。
克子の教育費は、亮作を含めた生計費に用いることを禁ぜられ、信子もその禁令を堅く守っていたが、戦争がはげしくなり克子への食糧が大伯母から届けられるようになると、そのもの自体の恩恵に浴することは稀れであっても、配給の食糧をかなり豊富にとることができて、亮作も間接の恩恵に浴することができた。
母と娘は、夜毎に疎開の荷造りをしていた。荷物の送り先は、もちろん大伯母のもとであり、亮作の品物がその荷造りから一切はぶかれていたことは言うまでもなかった。
彼女らの荷物を送りだしても、炊事道具やチャブダイは亮作に属していたので、三人の生活は不自由はなかった。
二人は亮作に荷物の疎開をすすめなかった。彼女らの生活が不自由になるせいもあったが、亮作の品物などは一切煙と化したところで惜しくはなかったからである。
二人の荷物が発送されると、空間のひろがりが目立った。それが目にしみると、亮作も疎開ということを考えた。せめて本だけは、と考える。それだけが彼の足跡だった。本が焼かれることを思うと、自分が焼かれるような苦痛を覚える。
わずかな月給から買いだめた蔵書が二十何年のうちに二千冊余になっていた。
「なア、信子や。この本だけでも大伯母さんに預ってもらえないかな」
信子はあきれて、溜息を
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