いかと思われる。

          ★

 日本の探偵小説の欠点の一つは殺し方の複雑さを狙いすぎることだろう。
 兇器を仕掛けて歯車だの糸だの利用して、自然に仕掛から兇器が外れて殺人を完成するというような、こういうことを考える作者はこれを完全犯罪の要素だと考えているのかも知れないが、私はあべこべだと思う。
 こういう仕掛というものは相対的な条件が必要で、被害者の位置が定まっているとか、何時何分に被害者がその位置にあるとか、その一致というものはプロバビリティの低いものが大多数で、これが外れゝば一気にシッポをだす。完全犯罪どころか大不完全犯罪で、失敗の率が高いし、失敗したら、それまでではないか。
 こんな仕掛にたよるのは危険で、だいたいこれらの仕掛がうまく行っても即死は不可能、カタワになるとか、急所を外れて生き返るとか、その程度まで行けば上乗という性質の仕掛が多いのである。
 そんな仕掛にたよるよりも、短刀でグサリと突きさす方が確実である、ピストル、毒薬、直接、自ら手を下してジカに殺す方が間違いの少いのは明かだ。それにも拘らず、なぜ仕掛をする必要があるか、その最大の理由は、アリバイのためだ。
 だからアリバイさえ他に巧みに作りうるなら、外れる危険の多い仕掛などはやらぬに限る。問題はアリバイの作り方の方にある。
 この根本が忘れられて、完全犯罪といえば、すぐ仕掛け、やたらに仕掛けを考える。いくら考えても直接グサリとやるよりも失敗率のすくない仕掛などは殆どない。なぜなら被害者は生きた人間で、時間通りにチョッキリきまった場所にさしかゝるような機械と違う。そんな偶然をあてこむ仕掛よりもアリバイの作り方に重点をおく方が実際は「有りうること」でありつまり読者を納得させるものなのである。
 懸賞探偵小説というと、たいがいこの殺しの仕掛、次に殺した後に自然に鍵のかゝる仕掛がでゝくるのだが、果してその仕掛で殺せるか、殺せるとしてもそのプロバビリティがどのくらい高いものか、そういうところは徹底的に批判して、作者自身がこの程度でなんとかなろう、というような安易な気持で書いておいたとしたら、トコトンまで追求して、その不埒な安易さをギュウ/\油をしぼってやらねばならない。こういうところが日本の探偵小説の今後の発展のために最も重大なことで、この根本に確実なリアリテを欠いていたなら、その作品は完全落第なのである。
 小栗虫太郎氏の作品などは、仕掛の確実さを追求したらまことに怪しいオソマツなものばかりで、その安易な骨組をごまかすために衒学の煙幕をはったもの、こういう手法は最も非知的な児童的カラクリでかゝる欠点は大いに追求されねばならぬ性質のものであった。
 今までの日本は、容疑者がすぐひっぱられる、自白だけで起訴される、全然探偵小説のできあがる条件がなかったのだが、こんどは物的証拠がなければ起訴し得ず、本人の自白だけではどうすることもできなくなって新憲法は探偵小説の革命的発展を約束づけているようなものだ。
 以上の私の感想は、探偵小説を謎ときゲームとして愛好する一趣味家が、その趣味上からの感想をのべたにすぎないもので一アマチュアの感想にすぎない。
 謎ときゲームとしての推理小説は、探偵が解決の手がゝりとする諸条件を全部、読者にも知らせてなければならぬこと、謎を複雑ならしめるために人間性を納得させ得ないムリをしてはならないこと、これが根本ルールである。



底本:「坂口安吾全集 05」筑摩書房
   1998(平成10)年6月20日初版第1刷発行
底本の親本:「教祖の文学」草野書房
   1948(昭和23)年4月発行
初出:「東京新聞 第一七八一号、一七八二号」
   1947(昭和22)年8月25日、26日
入力:tatsuki
校正:藤原朔也
2008年5月10日作成
青空文庫作成ファイル:
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