いかと思われる。

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 日本の探偵小説の欠点の一つは殺し方の複雑さを狙いすぎることだろう。
 兇器を仕掛けて歯車だの糸だの利用して、自然に仕掛から兇器が外れて殺人を完成するというような、こういうことを考える作者はこれを完全犯罪の要素だと考えているのかも知れないが、私はあべこべだと思う。
 こういう仕掛というものは相対的な条件が必要で、被害者の位置が定まっているとか、何時何分に被害者がその位置にあるとか、その一致というものはプロバビリティの低いものが大多数で、これが外れゝば一気にシッポをだす。完全犯罪どころか大不完全犯罪で、失敗の率が高いし、失敗したら、それまでではないか。
 こんな仕掛にたよるのは危険で、だいたいこれらの仕掛がうまく行っても即死は不可能、カタワになるとか、急所を外れて生き返るとか、その程度まで行けば上乗という性質の仕掛が多いのである。
 そんな仕掛にたよるよりも、短刀でグサリと突きさす方が確実である、ピストル、毒薬、直接、自ら手を下してジカに殺す方が間違いの少いのは明かだ。それにも拘らず、なぜ仕掛をする必要があるか、その最大の理由は、アリバイのためだ。
 だからアリバイさえ他に巧みに作りうるなら、外れる危険の多い仕掛などはやらぬに限る。問題はアリバイの作り方の方にある。
 この根本が忘れられて、完全犯罪といえば、すぐ仕掛け、やたらに仕掛けを考える。いくら考えても直接グサリとやるよりも失敗率のすくない仕掛などは殆どない。なぜなら被害者は生きた人間で、時間通りにチョッキリきまった場所にさしかゝるような機械と違う。そんな偶然をあてこむ仕掛よりもアリバイの作り方に重点をおく方が実際は「有りうること」でありつまり読者を納得させるものなのである。
 懸賞探偵小説というと、たいがいこの殺しの仕掛、次に殺した後に自然に鍵のかゝる仕掛がでゝくるのだが、果してその仕掛で殺せるか、殺せるとしてもそのプロバビリティがどのくらい高いものか、そういうところは徹底的に批判して、作者自身がこの程度でなんとかなろう、というような安易な気持で書いておいたとしたら、トコトンまで追求して、その不埒な安易さをギュウ/\油をしぼってやらねばならない。こういうところが日本の探偵小説の今後の発展のために最も重大なことで、この根本に確実なリアリテを欠いていたなら、その作品は完
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