戦争このかた世の中が逆になったと思っていた。屋台のオデンは二十年来の商売であるが、昔は細々と食うのが精一杯で、少し景気よく飲むと、売る酒がなくなり、売る酒を買う算段もつかなくなった。
戦争になったら、さぞ困るだろうと思っていたのに、焼け野原がひろがるほど、もうかる。物価が上るほど、もうかる。終戦直後の半年ぐらいは超特別で、犬モツ猫モツ鼠でも肉気のものに菜ッパをまぜてカキまわして煮た奴を山とつんでおくと幾山つんでも売りきれる、長蛇の行列、財布などというものは半日の売上げを入れるにも役に立たず、お札というものは石油カンに投げこむ以外に手がないのである。
だから戦争、時代という奴は幸吉にはワケがわからず、まるでもう夢を見ている心持で、毎日山とつもって行く札束をアレヨと思うばかり、だからキヨ子を知った当座も、戦争と時代、ワケの分らぬ夢のつゞきのような気持で、なんとなく、そんな時代なんだな、という思いをぬけきることができなかった。
けれども飲食店休業令だのと風当りが強くなり、キヨ子にはふられる、人間なみに多少キモをつぶすような出来事も現れるうちには、幸吉も時代などという正体のわからぬ魔物をはなれて、自分一個の立場というものを自覚してきた。
あのアマは、ひでえ奴だ、と彼は思った。なんとか腹の虫のおさまることをしないと気持がすまない。ブン殴るというようなことじゃない。幸吉は生れてこのかた、女の子も男の子も殴ったことがなかった。
なんとかして、正体をあばいてやりたい。時代だの未亡人だの断髪洋装だのという幸吉には苦手のモヤモヤをつきぬけて、あのアマのからだの中の魂という奴をあばいてやる。要するに、もうダマされないぞ、このアマめ、ということなのである。
然し、もう一つ底をわると、畜生め、然しあのアマは、よかったな、ということになる。そして、なんとなく身のひきしまる情慾にかられるから、畜生め、覚えていやがれ、今度はこっちがダマしてやるから。今に、面の皮をむいてやるから、などと、あれこれと考える。考えたって、幸吉の頭で、どうなるものでもなく、そのうち、もう会わなくなって百三十日もすぎた一日のこと、幸吉は昼酒に酔っ払うと、水曜であるのに気がついて、よかろう、ひとつアマをからかってやろう、と思いついて、直接会社へのりこんだ。
なかなか大きな会社であるが、受付できくと、その人は三階
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