指したい、それが何よりの望みだと云つてゐた。それを何べん云つたか分らない。そこには、木村老いたり、見るべきもの、すでになし、といふ即断と気負ひ、悪く云へば、いくらかの嘲りと傲りがあつた。彼はいさゝかならず神がゝり的な気質であるから、木村に対してかう即断すると共に、塚田に対しては、若干の怖れがあつた。
いはゞ升田は、木村将棋を否定することを念願として、今日まで大成してきたのである。一生の狙ひは打倒木村であつた。木村を破つたのは升田が先だが、名人位を賭けた大勝負では、塚田が一足先に木村を破つて名人位を奪つた。
木村を敗るのはオレだけだと思つてゐたから、升田がもし一足先に木村を敗つて名人位をとれば、塚田などは眼中におかなかつたに相違ない。彼はむしろ大山を怖れたであらう。ところが、塚田の方が一足先に木村を敗つて名人位をとつたから、木村を敗つて名人位をとることだけを一生の念願としてゐた彼は、自分の偉業を塚田の中へ転移して、敬意を払つた。
塚田は名人となつても、評判はさのみではなく、弱いと云ふ者が多かつたから、さういふ点でもツムヂ曲りの升田をして却つて逆に塚田は強いと云はせた意味もあつた。塚田の強さが外の奴らには分らん、といふ意味もあつた。木村への反撥から、塚田は強いと云はせた意味もあつた。木村を侮る共犯として塚田を自分の陣営へいれるやうな意味もあつた。
彼が塚田強しといふ意味は、すべて木村をめぐつてだ。塚田は木村と対蹠《たいせき》的な鋭い棋風であるが、一抹、彼とは似た棋風でもある。そして彼が塚田と共同戦線的感情をいだく理由は、本来は対木村であるが、つゞいて、もつと切実な、対大山といふ感情があつたと思ふ。この弟弟子は棋風は木村に似て、あるひは勝負師としてのネバリではそれ以上であるかも知れない。その冷静な勝負度胸は、この子供のやうな小さな男に、無気味に溢れてゐるのである。
木村と、つづいて大山をめぐつて、升田は塚田強しと逆説したが、本心は木村と大山に敵意があつてのことであり、塚田に対してさのみ怖れてはゐなかつたであらう。然し、大山が塚田に挑戦して敗れたことによつて、彼はその安堵の気持を再び塚田強し、大山いまだ至らずと置きかへ、めぐりめぐつて、塚田強しといふ縄で彼自身が縛られてゐたやうだ。
塚田は、二年前に名人位を奪つた朝、少しの酒に目のフチを赤くして、嬉しくも何でもないやうなドロンとした顔をしてゐたが、私が升田のことを云ふと、
「僕は升田は怖くないです。今まで升田に負けたことはありません」
と、きびしく云ひ放つた。彼がこんなに力のこもつた云ひ方をしたのは珍しい。それはたしかに升田は怖くない、といふハッキリした気持があつてのやうであつた。
神がゝりの升田は、鋭い直観を重ねたアゲクに、いつの間にやら、自分を自分の縄によつていましめて、そのアゲクが、去年の塚田升田五番将棋で、敗れ去つたのであらう。その時から、彼は外面、益々塚田の棋風をしたひ、塚田強し、と云ひ、塚田を親友とよび、塚田と親友になつたと云ひふらしてゐるものゝやうである。
つまり、升田の心は、まだ自立してゐないのである。自分一人で立ちきるだけの自信がないのだ。彼が塚田強しと云ふのは、木村大山をめぐつてのことであり、木村大山を完全に否定するだけの自信の欠如からくるところである。彼が木村怖るゝに足らず、大山いまだ至らず、と云ひ放つ時、イヤ/\さうではない、といふ声を最も敏感に聴いてゐるのは彼であつた。彼は不当な気負ひによつて心ならずも怖るゝ者を怖れずと云ひ、その犯罪感を自分一人で支へきれずに、塚田を共犯に仕立てゝゐるのであつた。そして、又、アゲクには、塚田強しといふことを、実在の事実として、自ら負担せざるを得ないやうになつてしまふのであつた。
私は塚田を見ると、ふと思ひだしたことがあつた。私の近所へ火野葦平が越してきたが、その近くに塚田正夫といふ表札のかかつた家があつた。戦災後にできた安バラックだから、もとより将棋名人の新たに住む家である筈はない。けれども、それを思ひだしたから、
「僕の近所に塚田正夫と表札のでた家ができてね。六畳と三畳二間ぐらゐのバラックだから、名人の新邸宅とは思はなかつたが、同じ姓名があるものだと驚いたよ」
「案外、かこつてゐるのかも知れないぜ」
と原四郎がひやかすと、塚田はショボ/\と酔眼をしばたゝいて、ニヤリとして、
「僕もそんなことをしてみたいと思ふけど、うまく行かなくつてね。ほんとに、してみたいんだ」
と、云つた。なんとなく板につかない。そのくせ本人の真剣さは分る。中学生がお金持ちになつて、大人なみのことをやらうと力んでゐるやうな恰好であつた。
話が翌々日の対局にふれた。
私は第一回戦に木村がボケて自滅した新聞記事を読んで以来、この名人戦に興味を失つてゐたから、
「木村があゝボケちやア、見物にでかけるハリアヒもないよ」
と云ふと、実に、その時であつた。塚田升田の態度が同時に改まつた。そして、二人が、まつたく、異口同音であつた。
「イヤ、今度の三局目はさうぢやなかつた」
升田は坐り直して、名人戦一席の浪花節でも語るやうにギロリと目をむいて、唸るやうにあとを続けた。
「第三局は驚くべき闘志だつた。負けて駒を投じてからも、闘志満々、あとの二局を見てゐろ、といふ凄い気魄がこもつてゐた。今までの木村ぢやない。驚くべき気魄だ」
「今までの木村ぢやない」
と塚田が和した。驚くほどキッパリした言ひ方であつた。
それは私に色々の思ひを与へた。まつたく、異口同音であつた。しかも、二人の態度が同時に改まつて、私の言葉をきびしく否定したのである。反射的に、そゝつかしいほどセッカチに物を言ふ升田と、感情を表はすことのない塚田の二人が、この時に限つて、まつたく同じ一人のやうな物の言ひ方をした。木村の闘志、この次を見ろといふ凄味のある気魄、今までの木村ではないといふ実感が、歴然と頭にしみ、木村の鬼のやうなマッカな顔が彷彿とした。
塚田までが、反射的に、態度を改めて云ふからには、よほどのことであらう。それにひきかへ、塚田の方は、翌々日の対局をひかへて、これでいゝのだらうかと私は思つた。女をかこつてみたいなどゝ、変に真剣味のこもつた云ひ方をするところに、塚田の不安定な気持がこもつてゐることなどが、私の頭によみがへつてきた。
木村が名人位を失つたころのオゴリたかぶつた様とアベコベである。私は塚田が第四局に負けるだらうと思つた。然し、勝つかも知れない。けれども、もしも第四局を失つたら、第五局は必ず負けると思つた。なぜなら、木村が名人位を失ふ時に漠然と「時代」を感じて敗北の予感に怖れたよりも、もつとノッピキならぬ切実さで、塚田は追ひつめられるに違ひないから。なぜなら、十年不敗の木村が塚田の実力を怖れたよりも、今日の塚田は十年不敗の木村の実力を知つてをり、その木村が闘志と気魄で第五局目の彼を威圧するに相違ないからである。モミヂの二階では、まだ闘志を感じてゐるだけで怖れずに済んでゐるが、四局を失つたあとの五局目では、ノッピキならぬ恐怖の対象となつて彼の前を立ちふさぐに相違ない。
「第五局があると思つちやいかん。あとはないものと思つて、第四局で勝負をつけな、いかん」
と升田が塚田をいましめて云つた。ほんとかな、と私は思つた。親友は、ほんとに、さう思つてゐるのかな。空々しかつた。
第四局は果して木村が勝つた。私はさつそく文藝春秋社へ出向いて、第五局を見物して書きたいから、毎日新聞社へ許可をもとめて欲しいと頼んだ。
まもなく、こんな噂が伝はつてきた。升田が人に云つてゐると云ふのである。オレは塚田とは親友だが、今度は親友が負けて、木村が名人位を奪還するだらう、と。彼には分る筈である。升田は人間の勝負心理については、文士のやうに正確に知つてゐる。私がモミヂの二階で感じたよりも、もつと深く、彼は親友の敗北について感じてゐたかも知れない。
★
第五局は、皇居内の済寧館で行はれるといふ思ひもよらぬことゝなり、大手門を通過する為の胸につける造花などが届けられて、私は慌てた。私はネクタイをもたないから、先づネクタイの心配から始めなければならない。どうも礼儀は苦手であるから、心細い思ひをしたものだ。
自動車で乗りつけなくちやア悪からうと、東京駅からタクシーに乗つたが、滑りだして一分間ぐらゐ、ハイ、大手門です、と降された時にはテレました。門衛が五六名ゐて、当日参観者の名簿に照し合はせて通過を許してくれる。
皇居内と云つても大手門をくゞつて、とッつきに在るのが済寧館で、誰でも行けるパレスコートがもッと奥手にあるやうである。私の到着が九時四十五分。対局開始の十時に十五分前であつた。
下駄箱の並んでゐる玄関があつて、小学校のやうである。すぐ道場へ行つてみると、なんとも広い道場である。柳生の道場が十八間四面といふのは講談本でオナジミであつたが、こゝは矩形の道場で、玉座を中に、剣道と柔道に二分され、柔道の方は四囲に板の間を残してチョボ/\と畳がしかれてゐる。その畳が百三十五畳あつたやうだ。道場全部を通算すれば、どれぐらゐの広さになるのだか、キャッチボールはおろかなこと、子供は野球ができるのである。
畳敷きの上の玉座寄りに緋モーセンを敷き、三方を四枚の屏風でかこつて、八畳ぐらゐの対局場ができてゐる。ボンサイだの木彫などの飾り物がおいてあるが、こんな物でも運んでこなければ殺風景で困つたらう。一見して、どうしてもハラキリの場といふ舞台面である。それ以外の何物でもない。事実に於て、どちらか一人がハラキリをするやうなものであるから、まことにどうもインサンである。
道場の壁板には段級名の名札がかけてある。皇宮警察といふやうな、お巡りさんの道場なのだらう。広さは広いが、安普請であつた。皇居内の建造物といふので、国宝級の重々しい建物を考へてゐた参観者には、案外なものであつた。
柔道の畳だからバネが仕掛けてあるのである。そのせゐで、畳の上を人が一人歩いても、対局場がブルブルふるへる。どんなに静かに歩いてもブルブルふるへるのである。私は始め、十何間に二十何間といふ柱なしの建物の上に、安普請のせゐで、トラックが通るたびに揺れるのだらうと思つてゐた。
「今はいゝけど、夜になつたら、畳の上を歩く時に注意してもらはなくつちやア」
と、木村は対局前にひどく気に病んでゐたが、私にはその意味がのみこめなかつた。対局前の道場は参会の人と各社の写真班で人だかりが出来て右往左往してゐるから、畳の上を歩くために揺れるのだといふことが分らない。
ところが木村は、対局の前日、毎日新聞を訪ね、済寧館の下見をしてゐたのである。ここにも木村のこの一戦に賭けた心構へが見られるのである。十年不敗の名人位についてゐたころの、東奔西走、夜汽車にゆられて寝不足で対局場へ駈けつけたころの彼ではない。二年間の名人位失格は彼に多くの教訓を与へたのだ。彼はもう根柢的に謙虚であつたし、一局の勝負に心魂をさゝげつくす勝負師であつた。対局前日に対局場の下見をして、人が畳の上を歩くたびに畳敷きの全体がブルブルふるへることも知つてゐたし、恐らく皇居といふと勝手が違つて、門衛だの、どつちへ行つたらいゝのやら、対局当日にはじめて出かけたのでは色々と慌てゝ取り乱すこともあるかも知れない。さういふ心配が起るのは当然で、一介の見物人にすぎない私ですら、対局場へ辿りつくまでは異様な気持であつた。
私自身のさういふ不安に思ひ合はせても、木村が対局前日に下見をしたといふ心構えには、彼の万全の用意が見られるのである。対局二日前に、湯河原ならぬモミヂの二階で酔つてゐた塚田と比べて、これらの心構えの相違はハッキリ勝負にでゝくるはづだ。塚田のあれは第四局目であり、第五局目ではなかつたけれども、もう遅い。あそこでまいた種がここで芽をだすのであり、すべてこれらの心構へといふものは、一朝一夕のものではない。十年不敗の木村は十年間にまいた種の累
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