たやうぢやないね。対局になると、やつぱり、疲れるの?」
「ええ、十二時前後から、頭脳がにぶつて、イヤになります」
 彼はいつも話声が低く静かである。そして、
「これは、いくらですか」
 と、いかにも大阪人らしく、値段をきいた。
「この薬はね。もう薬屋では販売できなくなつたから、お医者さんから貰ひなさい。名人戦だの、挑戦者決定戦だのと、大切な対局だけに使ふ限り害もなく、まるでその為にあるやうな薬だから」
 と、私は大山に智恵をつけておいた。私は実際、彼らこそ、この薬を服用すべき最も適した職業の人と考へてゐるのである。名人戦といへば死生を賭けたやうなものでもあるし、覚醒剤の必要な対局は、A級棋士で年に十回、挑戦試合が五回、それだけしかないのである。我々のやうにノベツ用ひて仕事をするから害になるが、彼らは年にせゐぜゐ二十回、そしてそこには、元々、死生の賭けられてゐる性質の対局なのだ。
 私は某社の人にうながされて、廊下へでゝ、便所から戻つてくる木村を待つた。木村が現れた。フラリ/\と千鳥足、ヂッと一つどころに坐りつゞけるせゐもあらうが、対局棋士の歩行は自然そんな風に見える。
 私は彼に寄りそ
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