録係が指手と使用時間を書いた紙片を屏風の隙間から出しておく。毎日新聞の係りが見張つてゐて、ソッと忍び足でやつてきて、これを控室へ持ちかへる。こゝには、土居、渡辺、升田、大山、原田、金子等々の八段連がつめかけてゐて、指手の報らせがくるごとに研究がはじまるのである。
 人々は畳の上を歩く時は、注意して忍び足で歩いてゐるが、どうしてもブルブルふるへる。対局場に人の姿がへつてヒッソリすると、どんなにひそかに歩いてもダメである。
「ブルブル地震のやうだね」
 と、木村がふと顔をあげて云つた。
「終盤になつたら、歩くのに、注意してくれたまへ」
 と、記録係に念を押した。
 休憩後、坐つて十分間ほど考へたと思ふと、木村は立つて、便所へ行つた。生理的なものよりも、気分的な必要によるものゝやうである。
 木村、四八飛と廻つた。昼食前から考へて、合せてこの手に六十六分。消費時間は合計百六十一分。塚田はまだ四十三分である。
 塚田、ここで、長考をはじめる。ここが策戦の岐路、運命の第一回目の岐れ道ださうである。
 小笠原流のオバサンが三時の茶菓を運んできた。見物人は私ひとりである。木村、ふと私の前に茶菓のない
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