段と彼の宿舎で碁を打つた。その翌日、彼は上京中の対局料をたづさへて津軽へ戻るところであつたが、封も切らずに、全部神様にさゝげてしまふのだからね、と、新聞の人がガッカリして私に云つた。
「それで、対局に上京といふ時に、たつた三百円、旅費を下げ渡されてくるのだからね」
呉八段の世話係の彼は、狂信ぶりがイマイマしくてたまらなさうであつた。
本因坊戦の対局の朝、呉八段は八時をすぎて、本因坊や私が新聞を読み終つて雑談してゐるところへ、やうやく起きてきた。よほど熟睡したらしかつた。それでゐて、イザ対局がはじまると、本因坊の手番の時は、自然にコックリ、コックリやりだす。フッと目がさめ、気がついて、立ち上る。たぶん冷水で顔を洗つてくるのぢやないかと思はれた。なるほど、神様がねむらせないといふのは本当らしいなと思つた。幸ひ対局中は神様からはなれてモミヂへカンヅメであるから、次の夜も熟睡ができて、対局の二日目から、目がパッチリと、睡気もはなれてゐた。
この碁は第一日目を終日コックリ、コックリ打つた碁だから、彼に良い筈はない。本因坊必勝の局面であつたが、三日目に本因坊が悪手で自滅してしまつたのである。この対局の数日前に神様ケン族は上京して、呉八段の下宿先へ落ちついた。ここでドンチャン騒ぎのお祈りを日夜にわたつてやらかすので、家主に立退きをせまられ、神様は警察へ留置された。それを呉八段がもらひ下げて、ネグラを求めて何処かへ去つたが、恐らく呉八段はそれらの俗事のためだけでも殆ど眠る時間がなかつたであらう。まつたく見るも無慙な様子であつたが、カンヅメといふことゝ、対局が三日にわたつて行はれ、朝九時から夕方の六時までといふ無理のない時間割が幸ひして、一日は一日毎に生色をとり戻してゐた。今の将棋式にその日指しきりといふ徹夜例であつたら、コックリ、コックリの呉八段に勝味はなかつたであらう。
第七局が東京で行はれた時も、私は見た。そのとき、豊島・火野両氏も来てをり、呉八段の勝に終つて、対局者をかこんで酒をのんだ。酒をのまない呉八段は、私のとなりで碁の雑誌を読んでゐたが、それは呉清源を論じた誰かの文章であつた。それを読み終つて、雑誌をペラペラめくつてみて、又よみだすのは自分を論じた文章のところだ。何度ペラペラやつても、結局よむのは、それだけだつた。もつとも、素人相手の碁の雑誌に、彼の心を惹く記事
前へ
次へ
全27ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング