の献金をはゞみ得ないと甘く見てゐられるやうです。ところが世間は存外甘くないやうです。なるほど世間は往々天才を見落しますが、それは天才の場合のことで、先生ぐらゐの中級、二流程度の才能に対して世間が誤算することもなく、かりに誤算し見落してもたかゞ二流のざらにある才能の一つにすぎないではありませんか。先生も以前は一かどの盛名を得て、つまり知られざる天才ではなく、才能の処を得てゐられたやうです。今日、なぜ名声が衰へ、世に忘れられたか。画境深遠となつて凡愚の出入を締出したせゐですか。ところが世間の凡俗どもは先生の画境の方が芸術から締出されたと評してゐます。僕も亦凡俗の一人ですからそれ以上には見てをりません。世間なみに先生はデカダンスによつて身を亡し芸術を亡したと解釈してをるのです。たゞ僕が世間といくらか違ふのは、古風な情誼をなつかしんでゐるだけのことです。
 岡本はあさましいほど狼狽した。立直る虚勢の翳もなかつた。苦痛のために顔がゆがんだ。それを見る谷村は、根が善良な岡本を不当に苦しめてゐるやうな侘びしさにかられた。然し、ゆがめられた岡本の顔には、卑しさが全部であつた。

          ★

「先生をやりこめて愉しかつたでせう」
 岡本の帰つたあとで、素子が言つた。谷村はこのやうな奥歯に物のはさまつた言ひ方に、肉体的な反感をもつ性癖だつた。人に与へる不快の効果を最大限に強めるための術策で、意地悪ると残酷以外の何物でもない。素子はそれを愛情の表現と不可分に使用した。それも亦、一種の肉体の声だつた。
「はつきり教へてちやうだい。もし先生が芸術家だつたら、先生の言ひなり放題にお金を貸してあげる?」
「僕のやり方が残酷だつたといふ意味かい。僕はもう僕自身に裁かれてゐるよ。そのうへ君が何をつけたすつもりだらう。然し、僕はやりこめはしなかつたのさ。たゞ、反抗したゞけのことさ」
「それでも、先生はやりこめられたでせう。先生のお顔、穴があいたといふ顔ね。人間の顔の穴は卑しいわ」
 女は残酷なことを言ふものだと谷村は思つた。そのくせ、それを言ふことは彼女の主たる目的と何のかゝはるところもない。素子はたぶん谷村をやりこめようとしてゐるのである。その途中に寄り道をして、道のべの雑草をいはれなく抜きすてるやうに、岡本にたゞ残酷な一言を浴せかけてゐるのであつた。
「古事記にこんな話があるぜ」と谷
前へ 次へ
全16ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング