は偶然で、私はそのときまで牧野信一の小説を全然読んでゐなかつた。彼と私の愛読するものがそのころ全く同じであつたから、例へばポオ、ドン・キホーテ、ボルテール、等々、自然似た作風になつたのであらう。然し、その後、牧野信一の小説を読んで感心したが、彼の後年の作品は好きになれず、彼の中年の作が好きで、そのためによく喧嘩をした。彼に就ては、いつか小説に書いてみたいと思つてゐるから、今は多く語らない。
 私は短篇小説をたつた三つ書いたゞけで一人前の文士になつてしまつたけれども、私の文学的教養は甚しく低いもので、何よりもいけないことは、文学によつて是が非でも表現しなければならないやうな問題もなく、自分自身すらもなかつた。一つの漠然たる哀愁と、功名慾があつたばかりのやうである。葛巻などは二十前後でハッキリ自分を見つめ、コクトオとラディゲの中に自分を見つめて、全身で狙ひをつけて読書してゐた。貧弱なフランス語の知識しかないくせに、あの難解なコクトオを全然誤訳なく読破してゐるので驚いたが、それらの本は手垢にまみれ綴《とじ》が切れてバラ/\になつてゐるのであつた。私は不幸にして今に至るも尚そのやうな劇しい読書はしたことがない。
 私はその後、メリメとスタンダールをいくらか熱心に読んだが、その情熱も知れたものであり、ドストイヱフスキーなどもかなり熟読したけれども、之又タカの知れた読み方であつた。私は多分真実没頭することのできない性分で、先輩に師事したり、先人の作に没入して啓発を受けるといふやうな謙虚な道がとざされてゐるのだと思つてゐる。持つて生れた性分だけの道を歩くことしか出来ないのだと近頃では思つてゐるが、ひところは葛巻のひたむきな読書のことなど考へると、私だけ真実といふものからノケ者にされてゐるやうな当てどのない苦しさを感じたものであつた。
 だから私の一生は誰から影響を受けたといふやうな素性の正しいものはなく、そのくせ軽率な模倣癖は驚くほど旺盛であるから、その程度の影響は雑多無数でキリがない。私の模倣癖の甚しさに就て一例をあげれば、私はたとへば山路愛山の徳川家康に感心したが、愛山とか徳富蘇峰とか、かういふ独創的な歴史家の歴史を読むと、私はそれに限定され、それ以上にハミ出すことができなくなつて、歴史小説が書けなくなつてしまふのだつた。だから私は歴史小説を書くために調べ物をするときは、二流三流の独創性の何もない歴史家の本を漁らなければならないのだ。
 このことは小説に就ても同じことで、私はすぐれた作品を読むと、それに師事したり、没入して読むといふことができず、敵意をいだき、模倣を怖れて、投げすて、目をとぢてしまふのだつた。すくなくとも、それに類した傾向を如何ともすることができない。之は私の性分で、愚な性分であるけれども、今は之を守り通すことによつて、その愚かさを完成する以外に仕方がなからうと思ふ。



底本:「坂口安吾全集 04」筑摩書房
   1998(平成10)年5月22日初版第1刷発行
底本の親本:「早稲田文学 第一三巻第二号」
   1946(昭和21)年3月1日発行
初出:「早稲田文学 第一三巻第二号」
   1946(昭和21)年3月1日発行
入力:tatsuki
校正:宮元淳一
2006年5月5日作成
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