当りは良かつたが陰鬱な部屋だつた。それは絨氈の色のせゐだ。この絨氈は芥川全集の表紙に貼つた青い布の余りを用ひたもので(僕の記憶がまちがつてゐなければ)だから死んだ芥川には直接関係のない絨氈だつた。私はこの陰鬱な色を嫌つて、君、この絨氈を棄てちやつたらどう? 僕は絨氈の色を考へると、この部屋へ通ふ足がにぶつてしまふのだ、と腹を立てゝいきまくのだが、だつて、君つたら、どうしてこの絨氈をいやがるんだらうね、と彼はクスリと大人のやうに笑ふのだつた。この寝室には大きな寝台があつて、恋のために眠れない葛巻は致死量に近いカルモチンを飲んで寝台から落ちて知らずに眠つてをり、未亡人も女中達もみんな跫音《あしおと》といふものを失つてひそ/\と部屋々々を歩く感じであつた。死の家といふんだらうね、日当りが良いくせに、いつだつて日蔭のやうな家ぢやないか、私はプン/\怒りながら長島萃に言ふのであつた。夜中に便所へ降りたんだ、そしたらね、下の座敷の鴨居の下をお婆さんが歩いてゐるんだ。大きな肩のガッシリした角力《すもう》のやうなお婆さんで、そのくせ跫音がないんだぜ、おまけに一人かと思つたら、二人ゐるんだ。長島萃は腹をかかへて笑ひだす。もとより彼は死の家だの跫音のないお婆さんだのといふことが私の口実にすぎないことを見抜いてゐたに相違ない。長島萃はまもなく自殺して死んだ。
葛巻と私はこの部屋で幾度徹夜したか分らない。こんな下らない原稿ばかりで雑誌をだすのは厭だと言ひはるのは葛巻であつた。だつて同人雑誌といふものはさういふ性質のもので、ほかの原稿は下らなくとも自分だけ立派な仕事をすれば良いぢやないかと主張するのは私であつたが、一見優柔不断な葛巻は、然し、最大の執拗さを以て、あれこれと廻りくどい表現で自説を固執してやまない。私はどうしても負けてしまふ。
私が負けるのは他に当然な理由があつて、葛巻は恋の外には何事も考へてをらず、その身だしなみのために立派な雑誌(内容も)をだしたいと純一に思ひ決してゐるだけで、その追求は純粋きはまるものであつた。然るに我々の立場はといへば、怪我の功名でも良いし、落首を拾つてゞも天下に名を成したいといふ野武士のやうな魂胆で、少しぐらゐ不純だつて世間に受ければ良いぢやないか、といふサモしい量見をかくしてゐる。之ではとても葛巻の追求に勝てないのは当然で、私にとつて葛巻は非常に純
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